世相閻魔帳

顕正新聞のコラム「世相閻魔帳」

「信平狂言事件」と「捏造音声事件」に見る大草一党の異常性

世相閻魔帳㊴「顕正新聞」令和4年6月5日号

 前号の本コラムに続き、今号も「信平狂言事件」を取り上げる。
 改めて述べるまでもないが、これは〝池田大作に3回も強姦された〟という「信平信子」という元学会幹部の〝大ウソ〟をもとに、信平夫妻、阿部日顕直属の謀略部隊「妙観講」講頭の大草一男とその一党、当時「週刊新潮」の記者だった門脇護(現在は「門田隆将」と名乗る輩)らが連携して池田を徹底的に叩き、ついには信平が池田の提訴に踏み切って世間を大いに騒がせた「狂言事件」である。
 だがお粗末なことに、信平のウソは調査すれば誰でも簡単にウソと分かるようなシロモノだったため、信平はウソにウソを重ねてどんどん窮地に追い込まれた。以下、その具体例を示す。

信平のお粗末なウソ

 例えば、信平は〝昭和58年8月、私がひとりで函館研修道場内のプレハブ建ての喫茶「ロアール」の掃除をしていた時、池田から強姦された〟などと主張していた。
 しかし、信平が事件現場として主張した「ロアール」は、昭和58年当時に存在しない建物だった。同建物は昭和57年6月中旬に学会が行事のために臨時に設置したもので、同月下旬には撤去されていたのだ。
 学会がこの事実を暴くと、信平は〝撤去されたのは「ロアール」の北側に存在したプレハブ建ての「休憩所」。学会は「休憩所」の撤去を「ロアール」の撤去とすり替えている。プレハブ建ての喫茶「ロアール」は存在した。そこが事件現場だ〟と強弁した。
 だが、林野庁が撮影した当時の航空写真で現場を確認したところ、プレハブ建ての建物はどこにも写っていなかった。これにより、信平が事件現場と主張した「ロアール」が当時存在しなかったことが確定し、判決も「昭和五八年八月に、原告が主張する場所に『ロアール』が存在していたことを認めることはできない」と認定した。
 また、信平は当初〝平成3年8月16日の朝7時半頃、函館研修道場の一角で朝靄の中を歩いていたら池田に襲われた〟と主張していた。
 しかし、学会から反論されると、被害に遭った日付を〝16日から18日の間〟と3日間も幅をもたせて誤魔化した。
 しかも呆れたことに、信平の代理人は池田から強姦されたときの様子を恥じらいもなく克明に描写しているのだ。誰が書いたか知らないが、それは官能小説の読み過ぎではないかと心配してしまうほどリアリティに富んだものだった。そして暴行を受けたことを信用させるためか、「信子は、右加害行為により、額が大きく腫れ上がる等の傷害を負った」などとまことしやかに主張した。
 しかし、信平の涙ぐましい小細工は功を奏さなかった。判決は「信子は、八月一九日、函館平和会館二階広間において、被告(池田)が出席した記念勤行会に出席し、最前列に座り、話をする被告に対して満面の笑みを浮かべているほか、被告に相伴してほほ笑みながら万歳も行った」、「八月一六日ないし一九日に撮影された各写真に写っている信子の顔には、額が大きく腫れ上がる等の傷害は見受けられないばかりでなく、原告(信子の夫)が主張するような被害に遭ったとは到底思われないにこやかな笑顔を示しているものが少なくない」、「平成三年の事件についての事実的根拠は極めて乏しい」などと信平の主張の〝虚構性〟を認定し、信平のウソを粉砕した。
 さらに判決は、「(信平の主張は)それ自体、事実的根拠を欠くことをうかがわせるものであるばかりでなく、訴訟当事者として、到底真摯な訴訟追行態度と評価することはできない」、「真に被害救済を求める者の訴訟追行態度としては極めて不自然であり、およそ信義則にかなうものとはいえないことは明らか」、「このまま本件の審理を続けることは……原告の不当な企てに裁判所が加担する結果になりかねない」などと厳しく糾弾している。
 加えて、裁判所は信平のウソに付き合わされてホトホト嫌気がさしたようで、「原告ら(信平夫妻)が被告(池田)及び創価学会に対して強烈な憎悪の感情を有していたとしても、何故にそこまでするのかについては、健全な社会常識からすると若干の疑問が残らないわけではないが、原告らの個性、人柄に由来するところが大きいとみるほかない」と信平の人間性にすら疑問を呈している。

信平と一体の「慧妙」

 さて、〝社会常識を大きく逸脱した異常人格者〟と裁判所から烙印を押されたに等しい信平の狂言を、さも真実のように大々的に報じ続けたのが、大草が編集・発行に関与している宗門謀略紙「慧妙」だ。「慧妙」に掲載された大本営発表を幾つか紹介する。
 「『池田大作はケダモノです、鬼畜です!』強姦事件の被害者元・北海道婦人部最高幹部が詳細を告白」(平成8年3月1日号)、「強姦魔・池田大作の素顔」(同月16日号)、「『強姦事件』で追い詰められる池田大作」(同年7月16日号)、「池田の強姦事件揉み消しに躍起の学会」(同年9月1日)、「『強姦訴訟』で完全逃げ腰の池田大作」(同年10月16日号)、「窮地に立たされた池田大作!」「これでは『強姦』を認めているも同然!」(平成9年3月16日号)、「池田の負けが見えてきたレイプ裁判」(同年10月1日号)、「池田まっ青!まだまだ続く〝レイプ裁判〟!」(同年12月1日号)等々。
 このようなえげつない見出しを延々と掲載できる新聞は恐らく日本には他に存在しないと思われる。その〝下劣さ〟〝醜悪さ〟〝虚言性〟には吐き気すら覚える。
 大草一党にしてみれば、たとえ無理筋な訴訟で信平に勝ち目などなかろうと、或いは虚偽の主張だろうと、敵対勢力を叩くことさえ出来れば〝何でもあり〟なのだろう。
 余談だが平成8年3月、信平夫妻は妙観講支区幹事の佐貫修一が事務局長を務めた妙観講のダミー団体「創価学会による被害者の会」の全国大会に参加・登壇し、「御法主日顕上人猊下様のもとに、清らかな信仰を貫き、最後まで池田創価学会と法廷の場にて闘っていく決意でございます」と決意表明を行った。ダミー団体の設立・運営も、そこでの信平の配役も、すべて大草の指揮監修に基づくものと思われる。

捏造音声事件での醜態

 そもそも〝ウソがバレたら新たなウソをこしらえる〟信平狂言事件の異常性は、「カエリタマエ」の捏造音声事件で大草一党が見せたそれと極めて酷似している。
 すなわち、「慧妙」令和元年7月1日号は、浅井先生が突然先生宅を訪問した女性妙観講員3名に対して「インターホンから『帰りたまえっ!』との声を浴びせた」という大ウソを掲載し、後日「慧妙」公式サイトに「カエリタマエ」の捏造音声を公開した。
 だが、この捏造音声について顕正会側が音声分析の権威である鈴木松美氏に鑑定を依頼し、「本件音声は、浅井昭𫟘氏が録音当日にインターホン越しに発した音声ではなく、事後的に合成されたものである」との鑑定意見が示されると、追い詰められた「慧妙」は〝インターホン越しの音声ではなかったが、もしかしたら邸宅内から発せられた音声かもしれない〟などと突然主張を変遷させた。
 その後、顕正会等を被告として提訴したものの、原告である大草一男と妙観講の全面敗訴となったこの捏造音声を巡る裁判において、大草らは「代理人弁護士」である大草貞嗣(大草一男の息子)に令和2年4月28日付け「第1準備書面」を法廷で陳述させたが、その内容は「結果的に本件音声はインターホン越しでないということがわかった」、「本件音声の音響分析をすれば、すぐにインターホン越しの音声ではないと判明する」というものだった。
 要するに、大草は「慧妙」令和元年7月1日号の記事が〝大ウソでした〟と法廷で白状した挙句、開き直って〝記事が大ウソということは調べればすぐに判明する〟と法廷で放言したわけだ。全く以て理解に苦しむ精神構造の持ち主と評する以外にない。
 ちなみに先日、妙観講・理事の佐々木寛司は哀れにもかかる事実を知らず、〝大草講頭が法廷で「あのカエリタマエの音声はインターホンからの声ではない」と白状した証拠があったら妙観講を脱講する〟と大見栄を切って脱講が確定してしまった。
 すると、大草一党は「慧妙」令和4年5月16日号で佐々木の脱講を遁れさせるため、「(大草の代理人弁護士が法廷で陳述した)準備書面の中にそう書いてあったとしても、それは『カエリタマエ』という声がインターホン越しの音声ではなかったという『証拠』にはならない」とまたもや前言を翻し、再度〝「カエリタマエ」はインターホン越しの音声だった〟という趣旨の主張をし始めた。
 たとえ平仄が合わなくてもお構いなしに、その場しのぎのウソをポンポン吐いて主張を変遷させる無節操ぶりには頭がクラクラしてくる。
 いずれにせよ、「提婆・倶伽利」の生まれ変わりのような大草一党のたばかりも、すでに虚しい。報恩抄に云く「糞を集めて栴檀となせども、焼く時は但だ糞の香なり。大妄語を集めて仏と号すとも、但だ無間大城なり」と。
 所詮、大草一党のたばかりなどは悪臭を芬々と放つ〝糞〟でしかない。(天皷)

宿主を失った寄生虫の宿命

世相閻魔帳㊳「顕正新聞」令和4年5月25日号

 四月度総幹部会において浅井先生は、阿部日顕の無慚・無愧そして師敵対を指摘された上で、「このように大聖人様に背き奉る悪行を重ね、なお全く恥じることのない阿部日顕に、果して御本尊を書写し奉る資格があろうか。このような悪僧が宗門に蟠踞していることこそ、正系門家における『末法濁悪』が極に達したことを物語っている」と叫ばれ、遥拝勤行こそ「時に適った信行」であることを指導くださった。
 かかる無道心の阿部日顕の「直属の謀略部隊」として跳梁跋扈してきたのが、大草一男が率いる「妙観講」である。大草一党は阿部日顕を守るために「提婆の虚誑罪」「倶伽利の欺誑罪」にも勝るとも劣らないペテンを用いて、目障りな対立相手に卑劣でえげつない攻撃を仕掛けてきた。その一例が「信平狂言事件」だ。
 同事件は「顕正新聞」(令和3年7月25日号)の本コラムでも紹介したが、大草一党の謀略体質を雄弁に物語る事件であるため、再度取り上げておく。

信平狂言事件

 平成2年以降、学会と宗門が「修羅と悪竜の合戦」そのままの凄絶な大抗争に陥ると、学会は「シアトル事件」(阿部日顕が教学部長時代にシアトルへ出張授戒に赴いた際、売春婦とトラブルを起こして警察沙汰になった事件)を大々的に宣伝した。
 窮地に追い込まれた阿部日顕は自身の出廷を恐れて「日蓮正宗」と「大石寺」を原告として学会を名誉毀損で訴えたが、結局3回も出廷を余儀なくされ、その度に学会弁護団から執拗なる辱めを受けた。
 〝目には目を歯には歯を〟だから〝下半身スキャンダルには下半身スキャンダルを〟と考えたのかは知らないが、日顕妙観講の幹部らに反撃材料の収集を行わせ、ついに〝池田大作に3回も強姦された〟と主張する「信平信子」という元学会幹部の婦人を見つけ出した。
 平成8年、妙観講副講頭の佐藤せい子と支区幹事の佐貫修一は、当時「週刊新潮」の記者だった門脇護(現在は「門田隆将」と名乗る輩)を連れて北海道函館市で信平夫妻と面会した。そこで縷々謀議をこらしたのだろう。その後、「週刊新潮」は信平の手記を大々的に報じたのだが、「慧妙」は「週刊新潮」が発売される以前にその予告記事を掲載した。また、信平が池田を提訴した際に東京で行った記者会見の会場を手配したのも妙観講員だった。
 かくて信平・大草一党・門脇らは巧みな連携プレーで池田を徹底的に叩き、世間を大いに騒がせてみせた。
 しかし、〝池田大作に3回も強姦された〟という主張は信平の〝作り話〟だった。しかも、それは調査すれば誰でも簡単に分かるような極めてお粗末なシロモノ。信平は裁判でウソがばれるたびに新たなウソをつき、どんどん窮地に追い込まれた。
 だが「慧妙」は、そんなことは一切お構いなし。「完全逃げ腰の池田大作」、「窮地に立たされた池田大作」、「池田の負けが見えてきたレイプ裁判」などと大本営発表を繰り返し、読者の宗門僧俗に〝池田は強姦した〟〝池田は劣勢だ〟という誤った印象を植え付けた。
 当然、東京地裁は信平の訴えについて「事実的根拠は極めて乏しいといわざるを得ない」と虚構性を認定した上で、「本件訴えは、訴権を濫用するものとして不適法」と100万件に1件あるかないかと言われている「訴権の濫用」(嫌がらせだけが目的の提訴)に当たるとし、「原告(信平)の不当な企てに裁判所が加担する結果になりかねないから、この時点で本件訴訟審理を終了する」と宣言して信平の訴えを却下した。
 後にも先にも、これほどまでに悪質な訴訟は無いだろう。かかる狂言事件に大草一党が深く関与したことは、「『慧妙』の編集担当者は、『週刊新潮』の信子の手記掲載をあらかじめ認識していた」等と判決が指摘しているとおりだ。

謀略紙「慧妙」の実態

 言わずもがな、信平狂言事件で重要な役割を担ったのが「慧妙」であり、その編集・発行を担っているのは大草一党だ。
 顕正会等を被告として提訴したものの、原告である大草一男と妙観講の全面敗訴となった「カエリタマエ」の捏造音声を巡る裁判において、大草は「『慧妙』の編集には関与していない」とウソをついて責任逃れを図ったが、判決は大草一党と「慧妙」の関係について、「人的にも業務内容的にも極めて密接な関係を有している」、「『慧妙』の編集にも全般的に関与していた」と的確に認定している。
 また、あまり知られていないが「慧妙」の発行業務等の一切は「株式会社ぎょうしょう」という妙観講が運営する出版会社に委託されている。同社の所在地は東京都杉並区の妙観講本部、代表取締役妙観講副講頭の佐藤せい子、取締役は大草一男、監査役妙観講指導教師の小川只道(本山塔中理境坊住職)だ。
 当の「株式会社慧妙」の所在地は静岡県富士宮市の個人宅であり、なぜかその代表番号に係る電話料金の「請求書送付先」は妙観講本部となっている。つまり「株式会社慧妙」はいわば「ペーパーカンパニー」のようなもの。このような実態にもかかわらず「『慧妙』の編集には関与していない」と裁判でウソをついた大草の精神構造は異常だ。
 「信平狂言事件」や「カエリタマエ捏造音声事件」に見るごとく、対立相手を貶めるためなら捏造すらも平気の平左の悪辣さ、また虚偽・捏造がバレても悪びれもせずにウソにウソを重ねる大草一党の厚顔無恥には反吐が出る。

「慧妙」の役割

 そもそも「慧妙」は平成5年1月、学会への反撃を企図した阿部日顕が大草らの献策に応じ、妙観講の機関紙「妙観」と他の宗門僧俗が発行していた新聞を発展的に継承して発刊された。要するに、妙観講の機関紙をリニューアルして対学会用の宗門の準機関紙に格上げさせたのが「慧妙」というわけだ。
 阿部日顕は学会のスキャンダル攻撃からウソと詭弁で己を守ってくれる謀略紙を用意できたことが余ほど嬉しかったようで、自ら「慧妙」と命名してその題字を下手な字で揮毫し、創刊号(平成5年1月15日号)の第1面に、従前、学会からの攻撃に大草らが屁理屈等で対抗していたこと等について「目下の情勢において洵に時宜を得た、護法の精神の顕われ」「醜魔醜敵は恐れ戦いたことであろう」などと褒めそやした上で、「『慧妙』の出発こそ、吾ら宗門人として、悦ぶべく期待するものである」などと下らぬ文章を寄稿している。
 しかし、多くの末寺住職がそのえげつない紙面を敬遠していたからか、平成6年5月に行われた寺族同心会(宗門の全僧侶とその家族を会員とする組織)の会合でも、阿部日顕は「慧妙」を讃嘆し
 〝「慧妙」を妙観講という一講中の機関紙ということで関係がないとは考えずに、創価学会破折の有効な弾丸であるということを理解して、「慧妙」の編集に積極的に参画し、配布にも力を入れるよう求める〟
 〝学会との言論戦は「お上品な印刷物」では対応できない。それをやるのが「慧妙」である。「大白法」は機関紙としてあるが、詳しくやれない問題もある〟
 などと発言し、末寺に寺院会計で費用を捻出・負担して「慧妙」を多数部購読するよう強要している。

御役御免

 このように、スキャンダル攻撃から守ってもらいたい阿部日顕と、〝親衛隊〟よろしく日顕に取り入り栄達を目論む大草一男が互いに〝共生関係〟にあったからこそ、大草一党は宗門で横行闊歩できていたといえる。
 ところが、阿部日顕が命終して以降、大草一党と「慧妙」に対する宗門僧侶の認識は変わりつつある。最近では宗門僧侶の中にも、「妙観講は異質な組織だ」「あんな奴らを重用してどうなんだと思っている」「『慧妙』は読まないし、寺にも置きたくない」「信仰という面からも馴染まない」などと正直な感想を述べる者も少なくない。
 早瀬管長は虚構の「法華講員八十万体勢」に大草一党のデタラメな勧誘を利用したが、欺瞞の達成宣言が済んだ以上、もはや大草一党は御役御免だろう。本年4月に行われた法華講連合会委員長・副委員長人事において大講頭の大草一男が用いられなかったことを見れば早瀬管長の意志は明白だ。
 宿主を失った寄生虫は死を待つのみ。それが寄生虫の宿命である。(天皷)

驚愕すべき宗門「海外部」の堕落した実態

世相閻魔帳㊲「顕正新聞」令和4年5月15日号

 令和3年1月5日、日蓮正宗(宗門)は、「法華講員八十万体勢」の達成を強調し、また海外でも勢力を拡大させたと嘯いた上で、「未来広布へ前進するに相応しい体勢となりました」などと記載した通達を宗内に発し、精一杯の虚勢を張ってみせた。
 しかし、本コラムが再三指摘しているとおり、早瀬管長の「法華講員八十万体勢」の達成宣言は嘘八百だった。法華講大講頭・妙観講講頭の大草一男率いる一党がインド・ネパール等でデタラメな勧誘を行って法華講員として計上したヒンズー教徒や釈迦仏法の信者等(約10万人)で水増しを図った悪質さも露見した。
 さらに今般、次期管長候補たる能化の「漆畑日実」(海外部長・下条妙蓮寺住職)が管轄する宗門の「海外部」の実態が明らかになった。それは大草一党と同様、折伏の精神や謗法に対する潔癖性など全くない、仏法を「渡世の具」とした禿人らの醜悪な姿であった。
 その一例として、インドネシアにおける宗門の堕落した活動実態を紹介する。

クリスマスを祝う

 インドネシアには「法清寺」(住職は戸沢良昭)と「妙願寺」(住職は土田法積)という2つの宗門末寺があるほか、「Majelis Nichiren Shoshu Buddha Dharma Indonesia」(「MNSBDI」、直訳すると「インドネシア日蓮正宗協議会」)なる宗門の現地組織が存在する。
 もっとも、現地組織の公式サイトには「アンクルン(打楽器)、マーチングバンド、地域のダンス、演劇、音楽からコンテンポラリーダンスまで、さまざまなインドネシアの文化芸術活動に積極的に取り組んでいます」、「献血、眼球提供者の候補者となること、環境の浄化、植林と再植林、洪水防止、その他のさまざまな災害の犠牲者を助けることなどの人道的行動も行っています」などと記載されている。
 実際、現地組織が動画共有サイトに投稿している動画は、構成員がダンス、演劇、音楽等に興じる様子を撮影したものばかりで信仰活動に関するものは皆無だった。宗門の現地組織の実態は、単なる「劇団」「パフォーマー集団」なのかもしれない。
 また驚いたことに、宗門の現地組織はSNS上で「クリスマス」を祝う投稿を平然と行っていた。もはや開いた口が塞がらない。この一事を見れば、インドネシアの宗門僧俗に信心の欠片もないことは明らかだ。

「御会式」を冒涜

 何より許し難いことは、日蓮大聖人の御入滅という深い悲しみの中に、御本仏の「常住不滅」「常住此説法」のお姿を如実に拝し奉り、御付嘱状に示された唯一の御遺命たる広宣流布国立戒壇建立を見つめて不惜身命の誓いを新たにする、仏弟子にとって最も重大な御報恩の儀式である「御会式」(宗門では「御大会式」を「御会式」と呼称している)を冒涜していることだ。
 住職の戸沢や土田がインドネシアで執行した平成28年の「御会式」では、寺の随所に「HAPPY OESIKI」というふざけた飾りつけがなされ、式終了後は様々な料理やゲームを提供する屋台や露店が多く立ち並ぶ「BAZAR OESIKI」(バザー御会式)や「festival」などと称するイベントを開催し、現地信徒や御会式が何かよくわからないまま参列したと思しき現地人たちが飲み食いしながらゲームに興じ、特設ステージでは現地信徒がダンスや音楽等を披露するなど、皆でどんちゃん騒ぎをしているのだ。
 なんとステージには御会式にちなんで、桜の花の模様をあしらった幕に「malam hiburan(エンターテインメント・ナイト) Oesiki 2016」とのポップな文字が掲げられている。この戯けた設営を見ただけで、禿人にとっての「御会式」が信徒から供養を収奪し、飲み食い遊ぶ「イベント」でしかないことがよくわかる。
 戸沢と土田は「festival」を現地信徒以上に満喫しているように窺われ、殊に戸沢は美味しそうな料理を前にして大はしゃぎ。皿いっぱいに料理を乗せてご満悦の戸沢は、まるで食べ放題のバイキングに連れてこられて嬉しくて仕方のない小学生のようだ。
 このような輩には、流罪・死罪を耐え忍ばれた御本仏の大慈大悲、御遺命の重大事などおよそ眼中にないに違いない。
 「受けがたき人身を得て適出家せる者も、仏法を学し謗法の者を責めずして徒に遊戯雑談のみして明かし暮さん者は、法師の皮を著たる畜生なり。法師の名を借りて世を渡り身を養うといへども、法師となる義は一つもなし。法師と云う名字をぬすめる盗人なり。恥づべし、恐るべし
 との御本仏の厳しきお誡めを恐れよと言いたい。
 極め付きは、「トゥンペン・カーニバル」(Kirab Tumpeng)という農作物を円錐状に積み上げた神輿を担いで農作物の恵みや収穫に感謝する現地の祭りを〝御会式の一環〟として実施していることだ。
 現地組織のSNS投稿には「巨大な円錐のシンボルで宇宙への感謝の気持ちを表す」とあり、御会式を取材していた現地ネットメディアも「宇宙と全能の神に感謝を伝えるために行われた」と報じている。邪教の団体と見紛うばかりだ。

早瀬管長の責任は重大

 日寛上人は撰時抄文段に「名利の僧等の、仏法を以て渡世の橋と為すが如し」と御指南くだされている。大聖人様を忘れた宗門の禿人らは、〝「謗法厳禁」といえば信徒が離れてしまう。「御会式」をもエンターテイメント化すれば信徒から供養を収奪できる〟とほくそ笑んでいるのだろう。
 これが宗門の実態だ。その責任が早瀬管長にあることは論を俟たない。
 何度でも言う。宗門は御遺命違背の大罪を大聖人様に謝し奉った上で真摯に出直さない限り、「餓鬼道に堕つる」こと必定である。(天皷)

大草一党のデタラメ勧誘の実態

世相閻魔帳㊱「顕正新聞」令和4年5月5日号

 令和3年1月、日蓮正宗(宗門)の早瀬日如管長は「法華講員八十万人体勢構築」(八十万体勢)の達成を宣言したが、それは〝嘘八百〟だった。他ならぬ宗門自体が令和2年12月31日現在現在における宗門の信者数を「78万2300人」と文化庁に申告しているのだから、お粗末としか言いようがない。
 しかし、この「78万2300人」なる数字も眉唾物だ。早瀬管長登座直後の平成18年から令和2年までの15年間で、宗門の信者数は約38万人も増加したことになっているが、実勢を示す正月の初登山者数は同期間で2万7032人から1万7180人と約1万人(36%)も減少しているのだから、「78万2300人」という数字を信じろというのは無理がある。
 さらに言えば、「78万2300人」には法華講大講頭の大草一男率いる妙観講がインド・ネパール等で勧誘したと嘯く「約10万人」を含んでいるそうだが、後述するとおり大草一党のインド・ネパール等での勧誘も御多分に洩れずデタラメなものだ。その大半は従前どおり邪教等を信仰し、宗門に入信した認識が全くない者たちだろう。
 以下、大草一党のインド・ネパール等でのデタラメな勧誘について簡略に述べる。

「授戒=祝福」と謀る

 前提として、宗務院発行の書籍によると、宗門への入信手続は、まず「謗法払い」を行い(「絶対に欠かせない」と明記されている)、その後に「御授戒」という「一切の謗法を捨てて日蓮大聖人の正法を信仰することを御本尊に誓う儀式」を行って完了するのだという。
 では、大草一党の勧誘がどのようなものだったかと言えば、まず〝僧侶が祝福してくれる〟などと甘言を用いて「GOJUKAI CEREMONY」を開催し、そこに大勢の人々を呼び集める(学校など人が大勢いる場所に出向くケースもある)。勿論、参加者の大半はそれが〝改宗〟を意味する儀式とは露程も知らないため、事前にも事後にも謗法払いは行っていない。数珠と経本を配られた参加者が私語を交わしていようが、スマホを操作していようが、会場内を歩き回ろうがお構いなしに勤行を開始してしまうのだ。

 ちなみに、現地の妙観講の主要メンバーだった者がSNSに「御授戒は祝福を意味します」などと投稿していることを見ても、大草一党が現地でまともな折伏をしていないことが窺われる。ゆえに参加者は〝なんだか分からないけど、祝福してもらってよかった〟程度の認識しかないのではないか。
 騙し討ちのような「GOJUKAI CEREMONY」に加担させられたことに後から気付いて腹を立てたのか、先とは別の現地妙観講の主要メンバーだった者は、大草の右腕としてインド・ネパール等の勧誘で中心的役割を果たした黄倉光治の顔写真の横に「ネパールとインドの人々は注意してください」「私たちの国の人々を不法に改宗させています」「見かけたら警察に通報してください」などと警告を付記した画像を投稿している。穏やかならぬ書きぶりだ。

霊友会を利用?

 あまり知られていないが、大草一党とインド・ネパール等で活動を共にしていた現地妙観講の主要メンバーの大半は、もともと邪教霊友会の現地幹部だった者たちだ。そのためか、大草一党のインド・ネパール等での活動は現地霊友会のそれと実によく似通っている。
 また、遅くとも平成25年4月頃までに妙観講が所属する本山塔中理境坊(住職は小川只道)の禿人・小川良到や黄倉らが、インドの「We Are One Reiyukai Sukarya」(WAORS)という霊友会系のNGO団体に顔を出して歓迎を受けていたことも確認済みだ。
 驚いたことに、その後WAORSは「We Are One Reiyukai Sukarya」という「霊友会」を冠した団体名のまま、理境坊の禿人(小川只道・正豪・良到)や黄倉らと共に「日蓮正宗紹介プログラム」などと称する〝宗門への授戒儀式〟を開催しているのだ。
 しかも姑息なことに、その際WAORSの団体ロゴがプリントされた横断幕には「Has No Relation With Reiyukai,We Are Following NIC­HIREN SHOSHU Buddhism」(この団体は霊友会とは関係ありません。私たちは日蓮正宗の教義に則っています)との文章が密かに書き加えられている。かような姑息な小細工を弄したところで邪教の名前を利用して人集めと授戒儀式を行ったことを正当化できるものではない。

 推測するに、大草一党と理境坊の禿人らは、かねてより存在していたWAORSという霊友会系のNGO団体に寄生し、WAORSの構成員等に警戒心を懐かせないよう教義的に破折もしないまま同団体を実質的に乗っ取り、現地で活動する際の〝足掛かり〟〝隠れ蓑〟として都合よく利用した可能性が高い。〝寄生虫〟の真骨頂というべき生態だ。
 実際、WAORS公式サイトには未だ霊友会が依拠する釈迦仏法の説明が縷々記載され、釈尊の絵や釈迦像の写真が掲載されているだけでなく「釈迦牟尼仏」を「仏教の創始者」とし、日蓮大聖人のことを「仏教改革者」などと記している。また、サイトのどこを探しても「本門戒壇の大御本尊」「三大秘法」「下種の御本仏」「久遠元初の自受用身」の文言は見受けられない。しかるに、同サイトには宗門の数珠・経本と「『立正安国論』正義顕揚七百五十年」の際に早瀬日如管長が揮毫した記念の袱紗を皆が手にしている写真等が複数掲載されているのだ。

早瀬管長は黙認

 いずれにせよ、大草一党が「約10万人」と自称しているインド・ネパール等における勧誘の実態はおよそ「折伏」とは評し難く、「謗法厳誡」の精神など微塵もないデタラメなものだったと言えよう。だからこそ、大草一党はネパールにおける妙観講の集会でヒンズー教の神「ガネーシャ」の像を祀ることができ、大草個人も現地の邪宗の大学で釈迦の絵像・仏像を祀りながら「法華経」の講義ができたわけだ。
 早瀬管長は「八十万体勢」の虚勢のために、大草一党のデタラメな所為すらも黙認、いや利用したのである。長大息のほかはない。
 宗門は御遺命違背の大罪を大聖人様に謝し奉った上で真摯に出直さない限り、「餓鬼道に堕つる」こと必定である。(天皷)

陰湿で露骨な安倍の言論統制

世相閻魔帳㉟「顕正新聞」令和4年4月25日号

 本年4月7日、朝日新聞社は同紙編集委員の峯村健司を停職1カ月の懲戒処分にしたことを公表した。峯村は米国や中国に詳しい新聞記者として、政権ベッタリの情報番組「ひるおび!」(TBS)にレギュラーコメンテーターとして出演している人物らしいが、今般の懲戒理由は驚くべきものだった。
 なんと峯村は、本年3月9日、安倍晋三元首相から朝日新聞とは無関係の週刊「ダイヤモンド」(本年3月26日号)に掲載される安倍のインタビュー記事のゲラ(誌面)を発売前に確認するよう依頼を受け、翌10日、同誌の副編集長に対し「安倍(元)総理がインタビューの中身を心配されている。私が全ての顧問を引き受けている」「とりあえず、ゲラを見せてください」「ゴーサインは私が決める」と威圧的に要求し、副編集長が強く反発して断ってもなお「ゲラを安倍事務所に送るように」などと言ったというのだ。完全にどうかしている。
 仮にも報道に携わる者であれば、他社の記事に口出しすることが非常識で報道倫理に反する行為であることは百も承知のはず。まして元首相から依頼を受けて当該行為に及ぶことなど論外である。
 なぜなら、行政権の長たる首相の地位にあった者が、自身に不都合な記事が世に出回ることを防ぐ目的で、その内容を発表前に審査し、不適当と認めた記事の発表を禁止することは、憲法が保障する「報道の自由」の侵害に当たることは勿論、憲法が一切の例外を認めず絶対的禁止と規定している「検閲」にも匹敵する重大な違憲・違法行為に当たるからだ。
 しかし、峯村はそのことを露程も反省せず、それどころか安倍の「顧問」と称してゲラを見せるよう要求した際の状況等を、自らインターネット上に誇らしげに公開している。いわく
 「安倍氏から『先ほど週刊ダイヤモンドから取材を受けた。ニュークリアシェアリング核兵器の共有)についてのインタビューを受けたのだが、酷い事実誤認に基づく質問があり、誤報になることを心配している』と相談を受けました」
 「ジャーナリストにとって誤報を防ぐことが最も重要なことであり、今、現実に誤報を食い止めることができるのは自分しかいない、という使命感も感じました」
 「私は3月10日、A記者(※ダイヤモンド誌の副編集長)に電話をして、事実確認を徹底するように助言をしました。A記者からは『安倍氏に取材したのをどうして知っているのか』『ゲラをチェックするというのは編集権の侵害だ』などと強く反発されましたが、私も重大な誤報を回避する使命感をもって、粘り強く説得しました」
 「後で知ったこととしては、A記者はその後安倍氏側と事実関係の確認し、誤認を正したうえ、3月26日付けの同誌に無事に掲載されました」と。
 要するに、峯村は誤報を防ぐことが「最も重要」と嘯き、かかる意味不明な理屈で以て、安倍にとって都合の良い内容に書き換えさせるという〝権力者の言論統制〟に唯々諾々と加担したわけだ。ジャーナリスト失格と言わざるを得ない。

安倍による言論統制

 無論、峯村以上に狂っているのは安倍だ。
 安倍事務所は、安倍本人が峯村にゲラの内容を確認するよう依頼したことを認めたそうだが、元首相でありながら検閲に匹敵する所為に平然と及ぶなど到底許されない。この一事を以て〝政治家失格〟の烙印を押すに余りある。
 振り返れば、第二次安倍政権のメディアに対する圧力等は常軌を逸していた。幾つか例を挙げよう。
 平成25年12月、安倍はNHKの会長を「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」と言って憚らない籾井勝人にすげ替え、公共放送を政権協力メディアに一変させた。
 また、安倍は平成26年12月の衆院選に際し、側近の萩生田光一の名前で在京キー局に「選挙時期における報道の公平中立ならびに公平の確保に関するお願い」と題する文書を送付したが、その内容は政権与党が報道や番組自体に介入して自らの希望どおりの報道を行うよう実質的に圧力をかけるものだった。
 さらに平成27年1月、「報道ステーション」(テレビ朝日)のレギュラーコメンテーターだった元経産官僚の古賀茂明氏が安倍批判を展開する中で「I am not ABE」などと発言したところ、番組放送中から安倍の右腕である菅義偉官房長官(当時)の秘書官だった中村格(現警察庁長官)がテレビ朝日の報道局ニュースセンター編集長に電話をかけたほか、「古賀は万死に値する」とのショートメールを送信する等の圧力を加えた。結果、古賀氏は前記発言の2カ月後に番組から降板させられた。
 余談だが、中村は安倍と昵懇の仲で安倍礼賛本を複数出版している元TBSワシントン支局長・山口敬之の伊藤詩織氏に対するレイプ疑惑事件の捜査の際、安倍を庇うために裁判所が発付した山口の逮捕状を握り潰している。
 同年11月には安倍のお友達や日本会議と親和性が高い輩が多数名を連ねる「放送法遵守を求める視聴者の会」なる団体が、「NEWS23」(TBS)のメインキャスターを務め、安倍を批判していた岸井成格氏をバッシングする内容の全面意見広告を〝安倍御用メディア〟の読売新聞と産経新聞に掲載する等の猛攻撃を加え、岸井氏を降板に追い込んだ。
 平成28年2月には、安倍と距離が近く、放送を管轄する立場にあった高市早苗総務相(当時)が衆院予算委員会で「電波停止」発言をし、テレビ局に脅しをかけてみせた。
 同年3月には「クローズアップ現代」(NHK)のレギュラーキャスターを番組開始時から務め、番組内で菅官房長官に対して安保法案に関する質問を粘り強く行うなどした国谷裕子キャスターの降板が決定した。その背後には安倍の圧力があったと噂されている。

メディアの腐敗は国家の崩壊に直結する

 こうした安倍の陰湿な言論統制にメディアは萎縮し、自ら政権の意向を忖度するようになり、番組等では政権批判の論調を抑え、橋下徹をはじめとする安倍のお友達を露骨に出演させるようになってしまった。
 実際、第二次安倍政権発足以降、国境なき記者団(RSF)が公表している「世界報道自由度ランキング」で日本は70位前後にランクダウン。アフリカ諸国と同じランクで、先進国の中ではほぼ最下位となった。
 厄介なことに、安倍の首相辞任後もこの状況は続いている。
 今改めて認識すべきことは、日本では珍しくない政治家のメディアに対する圧力行使や、メディア幹部と政治家の会食等は、いずれも先進国にあるまじき異常事態ということだ。アメリカではメディア関係者が政治家と会う時は「コーヒー1杯」が限度とされ、それ以上の飲食は「癒着」「ジャーナリズムの腐敗」と見なされる。これが先進国の常識だ。
 権力の監視者であるメディアが腐り果てて権力に諂い始めれば、国家もまた崩壊を始める。
 約8年にわたる独裁政権下において〝権力の監視者〟であるメディアからその使命を奪い去り、日本の亡国を加速させた安倍の罪は大きい。(天皷)