「寄生虫」の悪あがき(3)

世相閻魔帳⑫「顕正新聞」令和3年8月25日号

 八月五日付けの本コラムでは、法華講大講頭・妙観講講頭の大草一男がネパールの会合でヒンズー教の本尊を目の前で祀ったという「謗法与同」が暴かれたことを受け、わずか四面しかない日蓮正宗(宗門)謀略紙「慧妙」が一面丸々使って「気付いていなかった」「知らなかった」「不可抗力」と、見え透いたウソを並べ立てたことを取り上げた。
 その後、死に際の害虫らが「慧妙」以外の媒体でも反射的におもしろい反応を示していたことが判明した。妙観講発行の冊子「暁鐘」(本年八月号)で突如「ヒンドゥー教の誤りについて」なる特集記事を組んでいたのだ。
 バレるはずがないと高をくくっていた大草の謗法与同を追及されて居た堪れなくなり、急いでヒンズー教を破折してみせて〝与同していない〟とアピールしたつもりなのだろうが後の祭りだ。そのあまりの狼狽ぶりには憐愍の情がこみ上げる。
 大草の謗法与同を誤魔化そうと必死に悪あがきを続ける大草一党には追い打ちをかけるようで悪いが、今回もネパールにおける大草の謗法与同を取り上げる。

大草の謗法与同

 掲載写真は大草が「ネパール仏教評議会」なる釈迦仏法を信仰している謗法組織後援の下、現地の「スガット大乗仏教大学」で三回にわたって講義を行った際の様子を撮影したものである。
 一見して明らかなとおり、大草の目の前には何やらおぞましい仏像が祀られているではないか(仏像の前に置かれた燭台には火が灯されている)。そのすぐ近くには大きな釈迦の絵像まで飾られている。かような謗法物を眼前にしながら平然と一席ぶつ姿に大草の本性が現れている。
 そもそも「スガット大乗仏教大学」は釈迦仏法の知識提供を目的とする大学で、構内の至る所に仏像や礼拝施設がある。また、その関係者の殆どは釈迦仏法の僧侶や研究者である。ゆえに、その実態は大学というよりも寺院の趣きに近い。一分の信心ある者ならば足を踏み入れることに躊躇するはずだ。
 さて、おぞましい仏像を祀りながら大草が行った講義はいかなるものだったか。同大学の公式サイトには
 「The vetaran Buddhist scholar from Japan named Khajuo Okusa delivered the discourse on Lotus Sutra in a series of lectures.」(※原文ママ。日本のベテラン仏教学者である大草一男は一連の講義で「法華経」について話した)とある。
 また、同大学は大草のことを「Rev. Okusa」とも表記している。驚くことなかれ、「Rev.」(Reverend)とは「聖職者」につける尊称である。
 どうやら大草は、ネパールの人々に自身のことを「日本のベテラン仏教学者」「聖職者」などと呼ばせて悦に入っているようである。大草が自身の素性・経歴等をどのように偽ったのかは知る由もないが、海外でもあの類い稀なペテン性は健在らしい。
 最も解せないのは、講義内容が「日蓮大聖人の仏法」ではなく「法華経(Lotus Sutra)」という点である。大聖人様は上野抄に
 「今末法に入りぬれば、余経も法華経も詮なし、但南無妙法蓮華経なるべし」と。
 末法において成仏の大法は南無妙法蓮華経以外にはない。ゆえに「一切の邪法を捨てて南無妙法蓮華経と唱えなさい」と勧めるのが末法折伏である。
 しかるに、大草は聴衆のウケを狙い、謗法を破折もせず、仏像を祀りながら得意げに「法華経」の講義を行ってみせたのである。これを「謗法与同」と言わずして何という。
 ちなみに、大草の講義終了後、同大学の教授は大草に感謝の意を表し、軽食会まで開催したという。「愚人にほめられたるは第一の恥」(開目抄)とだけ言っておく。
 このように、謗法に対する潔癖性や折伏の精神を持ち合わせていない大草に「法華講大講頭」という役職に就く資格はない。とはいえ、〝同じ穴の狢〟である早瀬管長はまたしても大草の謗法与同を追認するのだろう。全く以て情けない。

良観との共通点

 そもそも大草一党のネパールでの活動は平成二十七年の「ネパール地震」以降、本格化したように見受けられる。被災地で物資配給等の「慈善事業」を行って耳目を集め、それを足掛かりに現地でテキトーな勧誘を拡大させていったのだろう。
 「慈善事業」で思い起こされるのは、御在世の僭聖増上慢・良観(律宗の僧)である。
 良観は世人の尊敬を得るための〝売名行為〟として慈善事業を行い、人々から「生き仏」のごとく崇められていた。
 また、良観は大聖人様を強く怨嫉するも法論には応じず逃避を続け、得意としていた祈雨の勝負で大聖人様に完敗して追い詰められると、恐ろしいことに幕府に讒奏して大聖人様の殺害を目論んだ。
 大草一党の言動も良観のそれとまことにソックリではないか。
 ネパールで慈善事業を行い、大草に至っては自身のことを「聖職者」と呼ばせている。
 また、大草は昭和の時代から顕正会のことを口汚く誹謗し続けているが、浅井先生が平成十七年に公開対決を申し入れられた際には屁理屈を並べて敵前逃亡した。
 そして近年、顕正会の徹底糾弾を受けて追い詰められると、浅井先生がインターフォン越しに「カエリタマエ」と怒声を発したとか、顕正会員に暴行を振るったのは「妙観講とは無関係の人物」などという〝虚偽〟を前提とした謀略訴訟を仕掛け、しまいには自滅したのである。
 いつの時代も仏様の御化導に敵対する輩は似るのだろう。
 「妙観講」は実態に即した「良観講」との名称が似つかわしい。改称してみてはどうか。(天皷)