世相閻魔帳

顕正新聞のコラム「世相閻魔帳」

宗門「海外部」の驚愕の実態(4)

世相閻魔帳110「顕正新聞」令和8年3月5日号

 日蓮正宗(宗門)で海外部長を務める漆畑日実は、法華講連合会機関紙「大白法」(新年特集号)の「新春座談会」で自身が管轄する海外部、とりわけインドネシアの宗門僧俗の活動についてこう述べた。
 「現在、世界にはあらゆる謗法が充満しております。そういったなかで日蓮正宗の信心をされる方は、必死に正法を護り、なおかつ折伏を推進しようと努力精進しております。……そのなかで一つお伝えしたいのが、インドネシアにある法清寺が創立二十周年を迎え、昨年の九月にその記念法要と記念総会を行いました。……私はインドネシアの僧俗の団結に大きな期待をしており、これからさらに発展していくであろうと確信しております」と。
 よくもこのようなデタラメを言えたものだ。同国における宗門僧俗の実態は、謗法与同も厭わぬ堕落の極みに他ならない。
 本コラムでは度々、インドネシアにある日蓮正宗の現地組織(MNSBDI、以下「インドネシア日蓮正宗」)の謗法与同の数々を取り上げてきたが、今回はさらに悍ましいその実態を晒しておく。

謗法与同イベント

 はじめに、本年2月8日に行われインドネシア日蓮正宗が関与した、悍ましい謗法与同イベントの概要を示す。
 このイベントは、イスラム教・キリスト教・ヒンズー教・仏教・儒教等の邪教の指導者・信者らがジャカルタ市内のホテルで一堂に会して行われたものである。
 その目的は、国連が定めた「世界異教徒間の調和週間」(2月1日~7日)と「国際人類友愛デー」(2月4日)なるものを皆で記念し、異なる宗教を持つ人々の相互理解・寛容・対話を促進する重要性を訴えるためだという。
 そして各指導者が宗教間の祈りを主導した。
 このイベントの写真を見れば、その性質が一目瞭然である。
 【写真①】は、教会や大仏、モスクといった邪教のシンボルが表示された壇上の電子ディスプレイの前で、各宗教の指導者が代わる代わるマイクの前に立ち、それぞれコーランや聖書などを読み上げて祈ったり、挨拶を行なったりしている場面だ。
 イスラム教の指導者らしき者が怪しげな祈りを開始すると、多くの参加者も一斉に目を瞑って祈りのポーズをとり(インドネシアの国民は8割以上がイスラム教徒)、会場全体が異様な雰囲気に包まれる一幕もあった。
 祈りや挨拶が終わると、その関係者らが〝宗教間の調和こそ国家・国民の団結に不可欠〟などと懸命に訴えたり、「国際人類友愛デー」の制定に関わった前ローマ教皇フランシスコのメッセージ動画(生前のもの)が放映されたり、歌の合唱やダンスが披露されたりした。

宗門信徒が実行委員長

 そして驚くべきことは、この謗法与同イベントの実行委員長をインドネシアの日蓮正宗信徒(法華講員)が務めていたことだ(【写真②】の女性)。
 しかもこの女性は一介の信徒ではない。これまでに大石寺に何度も登山し、インドネシアの宗門末寺「法清寺」で大勢の信徒を前にして信心指導を行うなど、まさにインドネシア日蓮正宗の信徒を代表するような存在だ。
 当然、海外部長である漆畑もこの女性のことを認識しており、自身が住職を務める妙蓮寺内で仲睦まじい様子でツーショットも撮り(【写真③】)、漆畑がインドネシアの「法清寺」を訪問した際にも挨拶を交わして記念写真を撮影し、昨年9月に実施された法清寺創立二十周年行事に伴い開催されたパーティーの場でも共に過ごしていた。
 これらの軌跡からは、漆畑や戸沢らがこの女性を厚く信頼し、期待を寄せていることが窺われる。
 しかしながら、この女性にはまったく信心がない。
 実際、この女性はインドネシア国内の7つの邪宗団体と「宗教共同体間の寛容」「宗教共同体間の調和」を図る名目でインドネシア日蓮正宗が創設した「インドネシア仏教協会」における女性部門の代表を務め、その肩書を随所でアピールし、同団体の幹部として日頃から積極的に活動するなど、平然と邪宗・邪教の幹部らと誼を通じている。

「全能の神に感謝」?

 また何より、今般の謗法与同イベントにおいて実行委員長として行なったこの女性の「開式の挨拶」の内容を聞けば、その実態がわかる。
 「尊敬する皆様、ご来賓の皆様、おはようございます。『世界異教徒間の調和週間』と『国際人類友愛デー』の祝賀会にようこそお越し下さいました。まず初めに唯一全能の神に感謝を捧げます。本日、私たちはこうして健やかに一堂に会することができました。……異宗教間協力委員会の実行委員長として、この度のご支援に心より感謝申し上げます。……さあ、多様性を祝いましょう。共生、兄弟愛、そして調和の絆を祝いましょう。すべての生きとし生けるものが幸せでありますように。ありがとうございました」と。
 スピーチの冒頭に「唯一全能の神に感謝」と述べているのは、インドネシアの建国五原則の第一が「唯一神への信仰」であるため、同国の公式な場では「唯一全能の神」に言及するそうであるが、この者は曲がりなりにも「謗法厳誡」を謳う日蓮正宗の信徒である。
 わずかでも信心があれば、たとえインドネシアの慣例であったとしても、このような言葉を発せられるはずがない。
 そして挨拶では日蓮大聖人の御事を話すわけでもなく、異宗教間の調和ができることを祝福している。
 よくもこのような謗法与同の言辞を吐けるものだ。
 大聖人様は撰時抄に
 「法華経より外は仏に成る道はなしと強盛に信じて
 と仰せられている。
 これは「戒壇の大御本尊以外に成仏の法なしと強盛に信じ奉る」ということである。
 唯一神に感謝し、異宗教と調和する謗法を犯して、成仏が叶うわけがない。
 以上がインドネシア日蓮正宗の実態である。
 かかる実態を知りながら、インドネシアの宗門僧俗について「必死に正法を護り、なおかつ折伏を推進しようと努力精進」「私はインドネシアの僧俗の団結に大きな期待をしており、これからさらに発展していくであろうと確信」などと持ち上げる漆畑も無道心極まりない。

口先だけの早瀬管長

 早瀬管長は、昨年9月26日にインドネシア日蓮正宗が「国民調和のための宗教を超えた共同祈祷会」と称する謗法与同の集会を開催したときと同様に、今回の謗法与同イベントについても放置・黙認するつもりなのだろうか。
 正月に国内の信徒を前にして行なった「不幸と混乱と破壊の元凶たる邪義邪宗の謗法を断固粉砕し、全世界の恒久平和と全民衆の幸せを実現すべく、折伏を行じ、妙法広布に全力を傾注していくことが肝要」(「大日蓮」令和8年1月号)との説法が口先だけであることがよくわかる。
 宗門は御遺命違背の大罪を大聖人様に謝し奉った上で真摯に出直さない限り、「今生には餓鬼道に堕し、後生には阿鼻を招く」こと必定である。(天皷)