世相閻魔帳

顕正新聞のコラム「世相閻魔帳」

幼稚極まる宗門の実態

世相閻魔帳90「顕正新聞」令和6年4月5日号

 前回の本コラムでは、信者の大幅減少で凋落の一途を辿っている日蓮正宗(宗門)の悲惨な実態や迷走ぶりを紹介した。
 ことに宗門の渉外部長・梅屋誠岳が住職を務める「久遠寺」(神奈川県横浜市)の「青年部座談会」において、大学生か新社会人くらいの年齢の信者数名と僧侶とで「仏道修行実践かるた」なるもので遊んでいたこと、また同かるたの低レベルの読み句に対し
 「宗門の余りの低次元・幼稚ぶりに呆れ果てた」
 「浅井先生の『広布最終段階に御奉公させて頂くのは、御遺命を守護し奉った顕正会以外には、断じてあるべくもない』とのご指導を強く実感した」
 との声が聞かれた。
 今回は、宗門末寺の中で比較的規模が大きいと言われている「応顕寺」(神奈川県横浜市)の実態を見てみたい。

応顕寺住職・早瀬道寧

 応顕寺の住職は早瀬道寧。察しの良い人は気付いたかもしれないが、早瀬日如管長の長男だ。
 他人の容姿についてとやかく言うのは趣味ではないが、道寧の顔写真を確認したところ「これが『法師の皮を著たる畜生』の姿か」と妙に納得した。
 信者の供養でよほど贅沢三昧をしているのか、「その体型で信者の前に出て僧侶として恥ずかしくないのか」とのツッコミを入れたくなるほど肉付きがよいのだ。
 少欲知足たるべき僧侶が生活習慣病になったら、それこそ物笑いの種になるから摂生に努めたほうがよい。

大聖人様の仏法を愚弄

 そんな道寧が住職を務める応顕寺は「お悩みを持つ方」に向けて、次のような文句で勧誘している。
 「日蓮大聖人の教えは、心の支え」「心が折れそうになったとき、また生きることが苦しくなったとき、大聖人の仏法がどれほど心の支えとなり、勇気が湧き力強く立ち上がれるか、今こそ信仰の重要性を認識するときです」等々。
 無智・無道心・無能の道寧は、大聖人様の仏法を「心の支え」などと極めて低次元なものに貶めて世に宣伝しているが、大聖人様の仏法は「心の支え」なのか。
 「心の支え」なら、他の邪教の教義を「心の支え」にする者もいれば、道徳的なことを「心の支え」にする者もあるであろう。信心とはそのような次元の話ではない。
 なぜ、不幸の根源が一切の謗法にあり、日蓮大聖人の下種仏法でしか一生成仏が叶わず、末法衆生は救われないことを堂々と言わないのか。
 大聖人様の仏法を愚弄する摧尊入卑にも程がある。恥を知れと言いたい。

機関紙「OKG」

 また応顕寺は「OKG」という名称の機関紙を発行している。下らぬ名称に溜息をつきながら、「OKG」の意味を〝「大きな顔でゴメンナサイ」か、それとも「オーケー御供養」か〟などとツラツラ考えてしまった。
 もし、寺院名のローマ字表記に因んでいるのならば、最後の一文字は「G」ではなく「J」だ。単に道寧の好物がTKG(卵かけごはん)で、それに準えたのかも知れないが。
 それはさて置き、この機関紙は応顕寺の活動実態を写真付きで報じている。
 ちなみに、かつて早瀬管長は
 「折伏は、難しくてできないのではなく、やらないからできないのです。厳しく言えば、怠けているからできないのであります。まさしく、『為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり』であります。……できない屁理屈を、あれこれ考えるのではなくして、どうしたら講中一結して折伏ができるかを真剣に考え、行動を起こすべきであります」(「大日蓮」平成29年7月号)
 などと営業ノルマ達成に血眼になる会社の上司よろしく末寺住職に発破をかけていた。
 そんな早瀬管長の長男が道寧である。ならば当然、道寧は管長の指導のまま、怠けることなく、どうしたら講中一結して勧誘ノルマを達成できるかを真剣に考えて行動を起こし、勧誘ノルマも当然のように達成するなど、他の末寺の模範となるような実績を残しているに違いない。おそらく他の末寺の住職や信者もそう思っていることだろう。
 そこで、この道寧が住職を務める応顕寺が令和5年にいかなる行動を起こしたのか、またその結果として勧誘ノルマを達成することができたのか、同年に発行された「OKG」の記述をそのまま引用し(※日本語表現や漢字の誤りはそのまま引用してある)、検証してみよう。

応顕寺の活動

 「唱題後、御住職(道寧)より一昨年昨年と折伏未達成と終わったが、本年こそは折伏誓願達成するよう、御指導を賜った」(2月号)
 「Iさんの発案で、今年の夢や目標をみんながカードに書き、ボードに貼った。来年開いたとき、実現できていますように」(3月号)
 「青年部主催折伏総合座談会が開催された。まず十界について、スクリーン上のマンガを通し、皆で学んだ」(4月号)
 「少年部育宝会お花見座談会が開催された。公園の原っぱでレジャーシートを引き、昼食をとりながら参加者皆で懇談を楽しんだ。……その後、公園の遊具コーナーに移動し、ブランコやすべり台を楽しんだ」(5月号)
 「応顕寺チャイルドデー(少年部・幼児向けのイベント)が開催された」「かんたんビンゴ 何がもらえるかな」「みんなでおどろう
ディズニーのダンス ジャンボリミッキー」(6月号)
 「応北方面主催折伏総合座談会が開催された。『人生の現時点でもっとやっておけば良かったこと』『もし人生が残り1年しか残されていなかったら何をしたいか』を各自アンケートに回答してふり返った。それを基に、グループに分かれて30分近くディスカッションをし……参加者皆で共有した」(7月号)
 「(道寧は)命がけの努力で折伏できないことはないと、『命がけの折伏』の大事を話された」「御講日の12:15から20~30分程度英語サポート教室を開いています。……青年部長までご連絡ください」(8月号)
 「『ブルーベリー摘み体験会』が開催された。……甘かったり、酸っぱかったり、わくわくしながら、食べ放題を楽しんだ」(9月号)
 「オープンテンプル午前の部 キッズサマーフェスが開催された。本堂にて読経唱題、御法話の後、客殿に移動し、いろいろな出し物を楽しみ、夏の思い出作り。同時に本堂にて育宝会懇談会。法統相続や悩みを話し合った。……最後にじゃんけん大会があり、賞品もたくさんで、会場は盛り上がった」(10月号)
 「『第1回福寿記念みんなのうた発表会』が開催された。本堂にて読経唱題、御法話の後、笑いたくさんありシルバー川柳クイズ。面白いイントロ当てクイズ。その後、各部によるみんなのうた発表があり、会場の皆も大いに盛り上がった。最後にみんなで『こんにちは赤ちゃん』を合唱し、御住職から御挨拶をいただき、……閉会した」(11月号)
 「第2回ダフェ(ネパールの国鳥のこと)大会が、大盛況の元、執り行われた」(※御宝前でネパール国歌斉唱、ネパールダンス、ベリーダンス、クイズ「知ってる?ネパールのこと」等々を実施した写真が掲載されている)(12月号)

末期症状を呈する宗門

 このように、早瀬道寧ら応顕寺の面々は、どうしたら講中一結して折伏ができるかを真剣に考え、行動を起こしたらしい。
 しかしその結果が「ブルーベリー摘み体験会」「シルバー川柳クイズ」「面白いイントロ当てクイズ」といった「遊戯雑談」なのだから、そのアホさ加減は救いようがない。
 ちなみに「OKG」(令和6年2月号)には「1/1(月・祝)……御住職より御指導を賜った。もうコロナを言い訳にすることなく、今年こそ折伏目標完遂していかなければならないと、幹部全員に向けて、強く激励された」と記載されていた。応顕寺は令和5年も勧誘ノルマを達成できなかったようだ。「さもありなん」である。
 参考までに応顕寺副講頭の「新年挨拶」(令和6年)なるものを紹介しておく。
 「明けましておめでとうございます。『本日、私はフラれました』で始まる資生堂の昔のCM『新しい私になって』が好きです。新しい自分になることは人生においてとても大事です。……今年は新項目として『おじさん鼓笛隊の結成』を加えようと思います。縦笛、買いました。今年も異体同心でよろしくお願いします」と。
 まるで酔っ払いの戯れ言だ。このような駄文を書いた副講頭もどうしようもないが、これを臆面もなく機関紙に掲載させた道寧の見識も小学生レベルだ。
 以上が宗門の最高権威たる早瀬管長の長男・道寧が住職を務める応顕寺の活動実態である。
 応顕寺の目を覆わしめる為体を見れば、他の末寺の活動実態も想像に難くない。宗門が末期症状を呈していることは疑いない。

五体投地の懺悔をせよ

 何度でも言う。宗門が凋落の一途を辿っているのは偏に「国立戒壇」建立という御本仏一期の御遺命の破壊に加担し、偽戒壇正本堂が崩壊した今もなお御遺命に背き続けて平然としているからに他ならない。
 細井日達・阿部日顕と二代の貫首が揃って臨終に堕獄の相を現じた事実を深刻に見つめなければいけない。
 かつて先生は
 「オママゴトはやめて、ただ御遺命違背の大罪を大聖人様に謝し奉り、真摯に出なおさなければいけない
 と強烈な叱責をされた。
 宗門は、世親・馬鳴・嘉祥のごとき真の懺悔を以て御遺命破壊の大罪を大聖人様にお詫びし、「国立戒壇」の正義を宣揚しなければならない。(天皷)

深刻な「低迷」「停滞」に喘ぐ宗門の実態

世相閻魔帳89「顕正新聞」令和6年3月5日号

 日蓮正宗(宗門)の甲信布教区で発行されている機関紙「甲信たより」(第181号)に掲載された甲信布教区宗務支院長・石山寿恩の「年頭の辞」には
 「法主上人(早瀬日如管長)は、『広布の戦いは、けっして停滞があってはならない。停滞は後退につながるからであり、後退は敗北である(趣意)』と、『前進』することの大事を御指南遊ばされました
 と記されていた。
 しかし前回の本コラムで述べたとおり、早瀬管長の発破も虚しく勧誘が著しく「停滞」している宗門は、令和4年末時点の信者数が前年同日時点と比較して3500人も減少、すなわち「後退」してしまった。
 石山が引用した早瀬管長の説法に従えば、宗門は「広布の戦い」なるものに「敗北」したことになる。早瀬管長は宗門が「敗北」したこと、「法華講員80万体勢構築」が大ウソであり、宗門僧俗を欺いたことを素直に認めるべきだろう。
 以下、御本仏一期の御遺命に違背し続けているために凋落の一途を辿る宗門の悲惨な実態や迷走ぶりに触れておく。

勧誘が進まない宗門

 早瀬管長が令和3年元旦に大ウソだった80万体勢の達成を宣言した頃より、宗門の勧誘は遅々として進んでいないらしい。
 このことは文化庁発行の「宗教年鑑」に掲載された宗門の信者数のほか、信者を代表する法華講連合会委員長・関野洋夫の泣き言を見れば明らかだ。
 「ここ三年、コロナ禍もあってか、法華講全体としても折伏の進捗は低迷していました」(「大白法」令和5年1月1日号)
 「ここ三、四年、コロナ禍や活動者の高齢化等により、折伏状況は停滞しておりました」(「大白法」令和6年1月16日号)等々。
 聞くところによれば、全国に597ある法華講支部のうち昨年(令和5年)の勧誘ノルマを達成した支部は僅か10数カ寺と、悲惨極まる様相を呈しているという。
 令和7年1月の「大白法」には、もっと正直に「法華講折伏は後退しています」と書いてほしいものだ。

高齢化で活動者減少

 また関野が告白しているとおり、宗門では「活動者の高齢化」が顕著らしい。
 嫌々勧誘に駆り出されたり、登山ノルマ達成のためほぼ毎月カネを払って登山させられたり、事あるごとに供養を毟り取られたりと散々な仕打ちを受けた挙句、懸命に活動した人ほど臨終に悪相を現じる様を眼前にすれば、若者に限らず誰だって宗門では活動したくなくなるだろう。
 ちなみに関野が所属し、宗門の渉外部長・梅屋誠岳が住職を務める神奈川県横浜市の宗門末寺「久遠寺」で開催される「青年部座談会」や「青年部勉強会」には、せいぜい5~6名程度しか参加していない。
 都市部にあり、宗門の中では組織規模が比較的大きいとされる久遠寺でかような状況なのだから、他の末寺、ことに地方の末寺の高齢化は凄まじいことだろう。
 久遠寺では若者の気をひこうと「納涼祭」や「お餅つき大会」など下らぬイベントを実施している。久遠寺に限らず他の末寺も似たような活動をしているそうだが、もはや自治会や町内会の活動と大差ない。

かるた遊びが信心育成?

 また昨年に開催された久遠寺の青年部座談会では、大学生か新社会人くらいの年齢の信者数名が僧侶らと「仏道修行実践かるた」で遊んでいた。
 あまりの幼稚さに頭がクラクラするが、これが宗門の実態なのである。お寒い限りだ。
 余談だが「仏道修行実践かるた」なるものは、宗門関係の書籍を発行する会社「大日蓮出版」が販売しているものであり、価格は1980円と少々お高い。
 ある宗門末寺の住職は、この「仏道修行実践かるた」を取り上げて、次のように指導していた。
 「『仏道修行実践かるた』は『謗法厳誡の信仰』をマスターするための読み句です。折伏に関わらず、信心修行全般にわたり、特に育成を重点とした読み句です。御本尊から大きな功徳をいただくための『かるた』です」と。
 ざっと読み句を見てみたが、これが宗門の「仏道修行の実践」だそうだ。
【ち】「貯金箱 貯めた御供養 まごころで」
【な】「なんとしても 達成しよう 誓願目標」
【ぬ】「脱ぎ捨てず はきものそろえ 心ととのう」
【は】「晴れやかに 姉弟そろって 七五三」
【ま】「豆まきの かけ声高く 福は内」
【や】「やるとやらざる とでは大違い 追善供養は忘れずに」
【ら】「来週は もっと成長 鼓笛隊」
【る】「ルーティーン すべてがまずは お題目」
 あまりの低レベルにため息しかでない。
 しかも「かるたを通じて信心を育む」という発想は邪宗の模倣らしい。
 邪宗日蓮宗(身延派)は「日蓮聖人カルタ」、浄土真宗は「真宗カルタ」、曹洞宗は「禅カルタ」、臨済宗は「禅語カルタ百句」というように多くの邪宗も概ね似たような目的でカルタを販売しており、真言宗も「いろはカルタで知る高野山」なる企画等を催している。
 衰退の一途を辿る宗門が、苦肉の策として邪宗の取り組みをそのまま模倣したとするならば、生粋の「バカ」としか言いようがない。

仏敵・身延派と交流

 さらに現在の宗門僧侶には信心の欠片もなく、あろうことか戒壇の大御本尊様を怨嫉する仏敵・身延派と平然と誼を通じるまでに至っている。
 昨年11月に立正大学で開催された「第七十五回 日蓮宗教学研究発表大会」(総裁は邪宗日蓮宗管長・菅野日彰、大会役員は全員身延派関係者)のプログラムを確認したところ、発表者の欄に宗門僧侶・堀部正円の名前があった。
 「日蓮正宗教学研鑽所」に所属している堀部は、己の知識をひけらかして悦に入るだけの論文を作成するために、身延派坊主らの懇切なサポートを受け、これまでに何度も同大会で身延派坊主に交じって研究発表を行っていた禿人であるが、どうやら昨年も立正大学にノコノコと赴いて身延派坊主の輪に入れてもらったらしい。
 無論これは堀部の独断専行ではなく、当然、早瀬管長の許可を得た上での行動だろう。
 ある身延派坊主は、早瀬管長の登座以降、宗門の身延派に対する姿勢が軟化し、従前の宗門では許容されなかったことが許容されるようになったこと、また宗門僧侶とは普通に交流していることを明かしている。
 要するに早瀬管長以下、現在の宗門僧侶は日興上人の身延離山の大精神を全く持ち合わせていないのだ。このような輩が「折伏」「謗法厳誡」などと口にしているのだから、どうかしている。

五体投地の懺悔をせよ

 以上、宗門の悲惨な実態、迷走ぶりの一部を取り上げた。
 著しい衰退の事実を信者に知られたくない宗門は、早瀬管長の登座直後の平成18年には約2万7000人だった初登山の人数がコロナ禍以前の令和2年の時点で約1万7000人にまで激減した事実を浅井先生に指摘されて以降、初登山の人数を公表しなくなった。
 本年の初登山の人数も「大勢」と誤魔化しているところを見ると、もはや公表すらできないほど減少しているようだ。
 かつて浅井先生は
 「なぜ御遺命に背いた大罪を、大地に身を投げて大聖人様にお詫び申し上げないのか。この改悔なくしては、弘通など口にする資格もないではないか。所詮、学会も宗門も、大聖人様を忘れているのである。大聖人の御眼を恐れてない。これを無道心というのである
 「オママゴトはやめて、ただ御遺命違背の大罪を大聖人様に謝し奉り、真摯に出なおさなければいけない
 と強烈に叱責されたが、いい加減、宗門は大聖人様に対し奉り五体投地の懺悔をすべきだ。(天皷)

80万から遠のく宗門の摩訶不思議

世相閻魔帳88「顕正新聞」令和6年2月5日号

 先日、文化庁が全国の宗教団体の「信者数」等をまとめた統計資料である「宗教年鑑」の最新版(令和5年版)が公表された。
 そこには、令和4年12月31日現在の信者数が掲載されている。
 「確か宗門の信者数は前回が79万弱だったから、今回でようやく80万達成だろう」と、早速「日蓮正宗」の信者数を確認したところ、そこには
 「78万6000人」
 という人数が記載されていた。
 「もしかして減っている?」
 目をこらして何度見ても78万6000人なのだが、この人数は令和3年12月31日現在の宗門の信者数と比較すると、増えるどころか3500人も減少しているのだ。
 参考までに「宗教年鑑」を基に、宗門の信者数の推移を示す。
 78万2300人(令和2年末)
 78万9500人(令和3年末)前年比+7200名
 78万6000人(令和4年末)前年比▲3500名
 いくらオママゴトのような宗門のデタラメ勧誘でも、さすがに一年を通して勧誘成果が全国でゼロということはなかろう。前年の7200名と同等の勧誘成果が出ていたと仮定すると、年間で一万名ほど信者が減少したことになる。
 宗門では高齢化が進んでいるとはいえ、ここまで大勢の者が突然死亡したとは考えにくい。供養を貪る宗門に愛想をつかせて離反者が続出したのか。そもそも宗門は信者らに具体的な数字を示して「80万達成」と大ウソを吐いたのに、なぜ文化庁にはそれと異なる数字を報告したのか。
 色々考えを巡らしても、結局、愚かな宗門のやっていることは我々の理解を超越しているため、答えが見つからない。何にせよ、宗門が迷走していることだけは間違いない。
 以下、早瀬日如管長による「80万体勢」の偽計が大失敗に終わり、かえって信者が減少するという「末期症状」を呈するに至った宗門の惨状について触れておく。

80万達成宣言の大ウソ

 まず従前の経緯を簡単に振り返る。
 早瀬日如管長は令和3年元旦、平成21年に自ら企画した「80万体勢」(大聖人御聖誕八百年の令和3年までに宗門の信者数を無謀にも80万人にすること。御聖誕八百年の「8」をもじった単なる早瀬管長の思いつきとの噂もある)の〝達成〟を、宗門の機関誌で次のように宣言した。
 「宗門は、去る平成二十一年七月、総本山に於ける七万五千名大結集の砌、『法華講員八十万人体勢構築』の誓願を立て、(中略)今回、見事に誓願を達成することが出来ましたことを心からお祝い申し上げます」(「大日蓮」令和3年1月号)
 「宗門は此の大佳節を迎えるに当たり、『法華講員八十万人体勢構築』の誓願を立て、僧俗一致・異体同心して、勇猛果敢に折伏戦を展開してきた結果、日本国内寺院所属の法華講員の総計が八十万人を超え、見事誓願を達成することが出来ました」(「大白法」令和3年1月1日号)
 しかし「宗教年鑑」(令和3年版)には、令和2年末時点の宗門の信者数は78万2300人とあり、80万には達していない。この数字は文化庁が独自に調査したものではなく、他ならぬ宗門が自ら文化庁に申告したものだ。
 要するに早瀬管長は意図的か、或いは宗門の勧誘責任者だった布教部長の阿部日明(日顕の息子)に虚偽報告を掴まされたのか、その経緯は不明だが結果的に〝大ウソ〟の達成宣言をしてみせたのだ。
 ちなみに阿部日明は勧誘成果の著しい低迷の責任を取らされたのか、昨年末に布教部長の任を解かれている。

全く進まない勧誘

 令和3年元旦の大ウソの達成宣言の時点で、宗門は78万2300人(80万まで残り1万7700人)。いかに宗門といえども令和3年中には80万を達成するかと思われた。
 しかし令和3年末時点の信者数は78万9500人。またも80万には届かなかった。
 そして今般公表された令和4年末時点の信者数にいたっては78万6000人。勧誘は全く進まず、80万に届かないばかりか3500人も減少し、80万達成が遠のいてしまった。
 「オママゴト」もここまでくると滑稽に見えてくる。

厚顔無恥な宗門

 余談だが、妙観講々頭の大草一男が編集・発行に携わる宗門謀略紙「慧妙」(令和5年1月16日号)は〝宗教年鑑の数字は日本在住の信者数であり、妙観講のインド・ネパールにおける勧誘成果等(海外居住の妙観講員)は含まれていない〟などと見え透いたウソをつき、宗内の動揺を抑えようと試みたことがある。
 しかし「顕正新聞」(同年2月15日号)に記載された本コラムにより、前記「慧妙」の主張だと平仄が合わなくなること、要するに「慧妙」の主張がウソであることを証明され、かえって80万達成宣言が完全なる虚構だったと白日のもとに晒されてしまった。
 にもかかわらず、厚顔無恥の宗門は昨年12月19日付けの通達で信者等に対し、「法華講員八十万人体勢構築」を「完遂することができました」「異体同心の御奉公が見事に結実したものであり、誠に御同慶に堪えません」などと周知しているから、頭がクラクラする。
 かような虚言体質の宗門が信者のみならず、社会からも信用を失う日はそう遠くないだろう。
 宗門のバカげた大本営発表を愚かにも信じ、罪障を積むだけのオママゴト勧誘に駆り出された挙句、供養を毟り取られる信者ら(法華講員)が哀れでならない。

無能な水島が「総監」に

 さらに昨年末、宗門のより一層の凋落を決定づける人事が行われた。
 宗務役僧の人事において、管長に次ぐ宗門ナンバー2の役職である「総監」に、無智・無能・無道心の三拍子揃った水島日叡(前教学部長)が抜擢されたのだ。
 自分が住職を務める「能安寺」(埼玉県所沢市)の信徒すらまともに指導監督できない水島に「総監」など務まるはずがない。水島の無能ぶりを示す具体例を一つだけ挙げる。
 令和2年7月21日から31日にかけて、日ごろ水島から信心指導を受けていた能安寺の悪質な信徒が、顕正会本部に895回も迷惑電話を掛けるという常軌を逸した業務妨害事件が発生した。
 かかる業務妨害が始まった直後、顕正会本部は能安寺に電話を掛け、当該信徒の犯罪行為を直ちに止めさせるよう求めた。
 しかし能安寺は顕正会本部が被害を受けているのを面白がったのか、はたまた刑事事件に発展しないと高を括ったのかは知らないが、呆れたことにロクな対応を取らなかったのだ。
 ために能安寺信徒は10日間も犯罪行為を続け、その結果、同人は警察に逮捕され、偽計業務妨害罪で罰金30万円の有罪判決を受けるに至った。
 顕正会本部からの苦情を真摯に受け止め、直ちに当該信徒に適切な指導を行っていれば刑事事件に発展することはなかっただろう。能安寺住職である水島の監督責任は大きい。

摧尊入卑の極み

 何より水島には信心の欠片も無い。
 元学会員の水島は、未だに池田大作一党が苦し紛れに考案した「『国立戒壇』という語は御書にない」などといった幼稚なタバカリを弄し、御本仏一期の御遺命たる「国立戒壇」を口汚く誹謗している。
 それだけではない。水島が住職を務める能安寺の公式サイトには、身延派等の邪宗日蓮宗の寺院と見紛うような驚愕の悪言がデカデカと掲載されていた(本コラムの指弾を受けてか、現在は公式サイトごと削除)。
 「当寺は、釈尊(お釈迦様)に始まる仏教を唯一正統に伝える伝統宗派である日蓮正宗のお寺です
 「ほかの伝統的な宗派のお寺と同じく、当寺も日蓮正宗という伝統宗派のお寺です。しかし、当宗は、お釈迦様が教えたとおりの教義を厳正に守り今に伝える唯一の宗派です」と。
 あろうことか、水島は大聖人様が久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏であることを敢えて伏せ、「釈尊(お釈迦様)に始まる仏教」「ほかの伝統的な宗派のお寺と同じ」などと述べて一般世間に迎合していたのだ。
 これ摧尊入卑の極みと言うべき悪言であり、浅井会長が一月度総幹部会で痛烈に糾弾された学会の「未曽有の邪教化」と全く同一である。
 水島に大聖人様に対し奉る信心が全く無いことは、この一事を見ても明らかだ。
 かような水島を能化(次期管長候補)から外すわけでもなく、能化のまま宗門ナンバー2の総監に抜擢した早瀬管長の人事を見れば、いかに宗門が仏法・世法の両面で狂っているのかが優に理解できよう。

顕正会以外にはない

 本年の早瀬管長の「新年の辞」(「大白法」令和6年1月1日号)では
 「依然として『新型コロナウィルス感染症』の勢いが止まず、為に折伏活動も思うようにいかず、各支部共に苦戦を強いられていますが……」
 などと勧誘が進まない理由を「コロナ」のせいにしていたが、そんなものではない。偽戒壇正本堂が崩壊した後も「国立戒壇」建立という御本仏一期の御遺命に違背し続けているゆえと、いい加減きづくべきだ。
 事実、唯お一人で御遺命を守護し奉られた先生ご統率の顕正会は、コロナ禍の中にも用心堅固にしなやかに折伏弘通を進めた。
 また昨年の最終法戦には先生の御逝去という、皆が到底言葉にできないほどの深い悲しみを味わう中にも、先生の名代として直ちに陣頭指揮を執られた会長の下に一結し、ついに過去最高の弘通を成し遂げた。
 「極限の大謗法」と「未曽有の邪教化」を遂げた学会、戒壇の大御本尊様を「営利の具」とし、今なお御遺命に違背し続けるゆえに、凋落が止まらず惨めな末期症状を呈している宗門の姿を眼前にしては
 「御遺命を守護し奉った顕正会こそ、御遺命成就に戦う資格と責務がある
 「広布最終段階に御奉公させて頂くのは、御遺命を守護し奉った顕正会以外には、断じてあるべくもない
 との先生のご指導を強く実感するとともに、「早く大聖人様の唯一の御遺命たる国立戒壇建立を実現しなければ」との決意を堅めずにはいられない。(天皷)

宗内に巣くう寄生虫「妙観講」の実態③〈大草の破廉恥な変節ぶり〉

世相閻魔帳87「顕正新聞」令和5年10月15日号

 今回は、大草一男が保身のために学会ベッタリの阿部日顕に取り入ることを画策し、それまで細井日達の下で共闘していた反学会活動家僧侶らを攻撃し、池田大作・学会の擁護を展開するに至った変節ぶりについて述べる。

日顕の登座で学会擁護に

 昭和54年7月22日に細井日達が急逝し、池田大作のバックアップを得て親学会派僧侶の筆頭・阿部日顕が第67代管長に就任すると、宗門情勢は急変した。
 すなわち細井日達の急逝までは反学会活動家僧侶(後の正信会)による「正信覚醒運動」(池田大作や学会の教義逸脱を責める運動。しかし細井日達を拠り所とするため、最も重大な御遺命違背については無視・黙殺している。所詮は同じ穴の狢)が勢いを増しており、大草らもこれに加担していた。
 しかし新管長・阿部日顕は、宗門僧俗による反学会活動を禁止するのみならず、池田大作と学会の擁護を強要した。
 「僧侶は学会の過去の誤り等を指摘し批判する言動は慎まなくてはならない」(昭和54年10月8日付け院達)
 「尠くとも日蓮正宗の僧侶と名乗り、日蓮正宗の信徒と称するなら、私の意を受けて具体的に行政上実施している宗務院の方針に従っていくことが肝要であります。もしこれを踏み外して従わないならば、……私の統率する宗団の外へ出てからやってもらいたい」(昭和55年1月26日・全国檀徒総会)
 「正法流布の大実績を持つ唯一の信徒団体である創価学会の逸脱は、……既に改めんと決意し、行いつつある以上、現在において謗法をあげつらう事は大きな誤りであります」(同年4月6日・御代替奉告法要)等々。

反学会僧侶を宗門追放

 また昭和55年9月24日、阿部日顕は〝反学会活動禁止〟との指示に従わない反学会活動家僧侶201名を宗門追放し、その後も随時、反学会活動家僧侶を追放していった。
 かくてイエスマンの僧侶だけで宗内を固め終えた阿部日顕は、昭和59年1月2日、法華講総講頭を辞任していた池田大作を再び総講頭に任命した。

大草の変節ぶり

 阿部日顕の登座後、大草と妙観講・指導教師の小川只道(理境坊住職)は暫くの間、反学会活動家僧侶らとともに学会批判を継続していた。
 この頃の妙観講の機関誌「暁鐘」には、小川只道と兄弟のような間柄だった西本暁道をはじめ反学会活動家僧侶らの寄稿文のほか、学会を批判する記事等が数多く掲載されている。
 だが反学会活動家僧侶201名の宗門追放という阿部日顕の容赦のない弾圧がなされてから暫くすると、大草らはそれまでの反学会の姿勢を一変させ、阿部日顕に同調し、池田大作と学会の擁護に転じた。
 また大草らは昭和56年3月より、「暁鐘」誌上において細井日達の下で共闘していた反学会活動家僧侶(正信会)への攻撃を開始している。
 しかし宗門僧俗の中からは、露骨なまでの変わり身を図った大草らに対する嘲笑ないし批判、さらにはその無節操を次のように糾弾する声も上がった。
 「最近、『暁鐘』の内容が変わってきたように思います。当初は正信覚醒運動に役立つ雑誌であると思っていましたが、とくに本年(昭和56年)に入ってからは、正信覚醒運動の悪口を書いた記事が載るようになってきました。いったい、どういう理由で編集方針を変えたのか、謗法の権力池田大作と阿部日顕に諂って正信を捨てたとしか思えません」(暁鐘40号)と。

奇策を弄する

 こうした批判に対し、大草らは懸命に詭弁を並べ立てて釈明するとともに、〝正信覚醒運動を止めることこそ細井日達の意志である〟と謀る「奇策」を弄した。
 具体的には、次のエピソードを唐突に開陳したのである。
 「日達上人が御遷化あそばされる直前の七月のある日、理境坊住職・小川只道御尊師は、総本山大奥において日達上人より『どうも正信覚醒運動の方向性がおかしい。やがては総本山にも矢を向けることになりそうだ。もし、あのメンバーに入っているのなら、今のうちに脱けておきなさい』との御指南を賜わっており、他の御僧侶方にも学会の様子をみるために、しばらくの間正信覚醒運動を止めるように御指南されたと伺っています」(暁鐘40号)と。
 要するに、大草らは変わり身の正当化を図りつつ、亡き細井日達の意志を踏襲しているのは反学会活動家僧侶(正信会僧侶)ではなく阿部日顕であるかのごとく宗門僧俗に印象付けることで、阿部日顕の正信会弾圧と学会擁護の言動に大義名分を与えるという貢献をしてみせたのだ。

死人に口なし

 しかしながら〝細井日達がしばらくの間、正信覚醒運動を止めるように言った〟というエピソードは、大草らが保身のためにでっち上げたものである可能性が高い。なぜなら前記のとおり、大草らは反学会活動家僧侶らとともに、阿部日顕登座後も暫くの間は学会批判を継続していたからだ。
 しかも大草らは細井日達の急逝後に発行した暁鐘20号(「日達上人猊下御遷化奉悼号」昭和54年9月1日発行)に、反学会活動家僧侶・西本暁道の「御遺訓を胸に、さらに正信覚醒を」と題する追悼文を掲載している。
 また同号には小川只道の「御師範日達上人を偲び奉りて」と題する追悼文も掲載されており、そこには次の記述がある。
 「(細井日達の)最後の御親教となった、妙流寺における御指南(昭和54年7月17日)の中に、『よく学会の人が間違ったことを言いますね。師匠が地獄へ行ったら自分も地獄へ行っていいんだ。そういう考えは大変な間違いです。……』と仰せられているのを拝すれば判然とするであろう。最後の御説法にまで、正信覚醒の御指南をされていたことをけっして忘れてはならない」と。
 この小川只道の追悼文に記されている細井の〝遺言〟とも言うべき最後の説法の内容は、反学会活動家僧侶らが処分された後になって大草らが開陳した先のエピソードの内容と正反対なのである。「死人に口なし」とはよく言ったものだ。
 結局、大草らは「現御法主日達上人猊下は、今の全世界において唯一人、我等が主師親、現時における日蓮大聖人様と拝し奉るべき御方」(離籍の真相)などと諂っていたにもかかわらず、窮地に追い込まれた途端、その細井日達の〝遺言〟を抛ち阿部日顕に〝命乞い〟をしたと言えよう。

池田大作を擁護

 かくて大草と小川只道は、細井日達の下で共闘していた僧侶らが尽く宗門追放されていく中、宗内に生き残り、阿部日顕に取り入ることにも成功した(昭和57年5月、小川只道は「大石寺理事」に出世している)。
 それ以降、大草らは阿部日顕(実際には池田大作)の〝池田と学会を擁護せよ〟との意向を忠実かつ露骨に実現していく。その様はあたかも「学会の走狗」であった。
 いくつか具体例を挙げれば、暁鐘51号では、偽戒壇正本堂の大前机に刻まれた醜悪にして不敬の極みというべき池田大作の裸体レリーフについて、「弊室編集局メンバー数名は、大前机に刻まれた像の顔が『文春』掲載の写真とはまったく異なっている(※写真では前向き、実際には完全な横向きで、しかも池田氏とは似ても似つかぬ顔であった)ことを確認しております」などとヌケヌケと述べ、池田を擁護した。
 また暁鐘85号では池田大作の「立正安国論講義録」の一節を引用した上で「二十年前の講義でありながら、……まさに光彩を放つではないか」と讃嘆している。

戒壇正本堂を讃嘆

 さらに大草は昭和63年、偽戒壇正本堂を擁護するタバカリを並べた悪書「摧破異流義考」を発刊し、その中で正本堂を讃嘆している。
 「まさに大石寺正本堂は御宝蔵・奉安殿等とは異なり、今日の大石寺の本堂にして、やがて広布の時至れば大本門寺本堂たるべき堂宇である
 「本門戒壇の大御本尊まします我が日蓮正宗富士大石寺こそ、本門事の戒壇の根源にして、広布達成の暁においては、『一期弘法抄』『三大秘法抄』に御示しの意義を顕現する大本門寺戒壇なのである」と。
 しかるに大草は正本堂崩壊の約半年後、これら都合が悪くなった記述をちゃっかり削除・修正した「新編・摧破異流義考」をシレっと発刊している。実に姑息と言う他ない。

池田とともに串刺しにされた大草

 最も滑稽なのは、当時、浅井先生が「正本堂完工式にバチカン市国キリスト教神父を招いた池田大作の謗法与同」を追及したところ、なぜか大草がしゃしゃり出てきて
 「正本堂完工式に出席したのは、駐日バチカン外交官
 「バチカン外交官の二名が着ていたのはスータンと呼ばれる外出着であって、法服などではない」(続・摧破異流義考)
 などと謀って池田大作を懸命に擁護したにもかかわらず、後年、このタバカリを宿主である阿部日顕に粉砕されてしまったことだ。
 すなわち阿部日顕は学会と宗門が再び抗争に陥った後、池田大作正本堂完工式に神父を招待した謗法与同の事実を暴露して攻撃した。いわく
 「池田大作は、御本尊についても誤り、戒壇についても誤りましたが、これらの元はすべて、根本が解っていなかったのであります。……それが、正本堂の建立の時にキリスト教の僧侶を招く考えとなったのであります」(平成5年5月28日・第三十五回寺族同心会大会)
 「池田大作は、あの正本堂建立の時に、……バチカンキリスト教関係者をその祝いの席に招いております」(同年6月20日・北陸布教区親教)
 「あの正本堂の完工式の時にキリスト教の者を招き、しかもキリスト教の法服を着けた形で正本堂の中に入れた」(同月27日・新潟布教区親教)と。
 大草は、阿部日顕によって池田大作とともに串刺しにされてしまったのだから片腹痛い。
 以上、これら大草の破廉恥なまでの変節ぶりを知れば、大草率いる妙観講が、ただ己の保身のために時の貫首に諂って点数稼ぎをするだけの集団であることがよく理解できよう。(天皷)

河井事件にみる検察・大手メディアの堕落ぶり

世相閻魔帳86「顕正新聞」令和5年10月5日号

 憲政史上最大規模の買収事件である「河井事件」に関し、「中国新聞」が事件の核心に迫る大スクープを報じた。ところが悲しいかな、これを後追いで報じた大手メディアはほとんど無い。
 以下、河井事件の概要を簡単に振り返り、検察と大手メディアの度し難いまでの腑抜けぶりについて述べる。

河井事件の概要

 河井事件の発端は、亡国の政治家たる安倍晋三が〝私怨〟を晴らすため、仇敵である溝手顕正氏(国家公安委員会委員長自民党参議院議員会長等を歴任した自民党重鎮)の落選を画策したことだ。
 平成19年の参院選自民党が惨敗した際、溝手氏は「首相本人の責任」と安倍を批判し、平成24年2月にも「もう過去の人だ」と安倍をこき下ろした。それ以降、幼稚で陰湿な性格の安倍はずっと溝手氏を恨んでいたという。
 令和元年7月の参院選で広島選挙区に溝手氏が立候補すると、安倍は溝手氏を落選させるため、自身の補佐官を務めた河井克行(元法務相)の妻・案里を〝刺客〟として溝手氏と同じ選挙区に送り込んだ。
 しかし溝手氏の堅固な牙城を案里が崩すことは容易ではない。そこで克行は溝手氏の支援者等に合計約2900万円のカネをバラまいて票の買収をするという犯罪(公職選挙法違反)に手を染める。
 安倍も自ら広島に駆け付けて案里の応援演説をする一方で、克行からカネを受け取った相手のもとに筆頭秘書の配川博之らを派遣し、案里支援の約束を取り付けるなど溝手陣営の切り崩しを行った。また自民党本部が溝手氏に提供した資金は、案里の約10分の1だったという。
 その結果、安倍の全面支援を受けた案里が当選を果たし、溝手氏は落選した。
 ちなみに安倍は溝手氏の落選について「安倍晋三回顧録」(中央公論新社)の中で、「2人当選が無理だというのは、甘えでしょう」「負けた責任を自民党執行部に押しつけるのは、筋違い」と辛辣に言い放っているが、この男のおぞましいまでの執念深さを顕す言葉である。
 その後、買収の事実が判明して河井夫妻は刑事訴追され、克行は懲役3年の実刑判決(現在服役中)、案里は懲役1年4カ月・執行猶予5年の有罪判決が確定した。
 なお、後に案里は「黒川さん(元東京高検検事長も私も同じように権力闘争のおもちゃにされてしまって、権力の恐ろしさ痛感します」と、ノンフィクションライターにメールを送信している(常井健一「おもちゃ河井案里との対話」)。
 案里本人も自覚しているとおり、所詮、河井夫妻は安倍にとって都合のいい〝おもちゃの兵隊〟〝捨て駒〟に過ぎなかったと言えよう。

中国新聞のスクープ

 さて、河井事件の最大の謎は克行がバラまいたカネの出所、すなわち「買収の原資が何か」であった。
 これについては関係者の供述等から、自民党本部(と言うよりも総裁の安倍)が河井夫妻に提供した異例の大金「1億5千万円」(溝手氏に提供された金額の約10倍)が買収の原資である可能性が高いと目されていた。実際、自民党からカネが振り込まれる度に、安倍と克行は単独で面会していた上に、1億5千万円の使途は未だ明確になっていない。
 そこに今般、河井夫妻の有罪判決が確定した後も事件について粘り強く取材していた「中国新聞」がスクープを報じた。
 令和2年1月、検察当局は克行の自宅マンションを家宅捜索した際、安倍をはじめ安倍政権の幹部4人から、1億5千万円とは別に現金合計6700万円を受け取った疑いを示すメモを発見・押収していたというのだ。
 以下、中国新聞の記事を引用する。
 〈関係者によるとメモはA4判。上半分に「第3 7500万円」「第7 7500万円」と書かれ、それぞれ入金された時期が付記されている。その下に「+(プラス)現金6700」と手書きで記され、さらにその下に「総理2800 すがっち500 幹事長3300 甘利100」と手書きされていた。
 「第3 7500万円」と「第7 7500万円」の記載について東京地検特捜部などの検察当局は、自民党本部が参院選前の19年4~6月に克行氏の自民党広島県第三選挙区支部と妻の案里氏(有罪確定)の党広島県参院選挙区第七支部に振り込んだ各7500万円(計1億5千万円)と分析。「+現金6700」は1億5千万円に加えて6700万円が現金で提供され、「総理2800」などの記述は内訳を記しているとみている〉(中国新聞デジタル本年9月8日)と。

買収の原資か

 このメモの記載は誰がどう見ても、河井夫妻が自民党本部から提供を受けた1億5千万円とは別に、安倍(総理)・菅義偉(すがっち)・二階俊博(幹事長)・甘利
明(甘利)の4名から現金合計6700万円の提供を受けていたことを窺わせる。
 そこで中国新聞の取材班は、死亡して取材不能な安倍を除く菅・二階・甘利の3名への取材を敢行したところ、菅と二階は現金提供の事実を否定したが、甘利は陣中見舞いの名目で克行に100万円を提供したことを認めたという。
 キリスト教徒である克行は捜査の段階で「買収の原資はポケットマネー」などと言い、公判でも「神の前で誠実であることが第一」などと世迷言を吐いていたが、結局、安倍をはじめとする安倍政権の幹部から提供された資金が買収の原資だったと言えそうだ。

検察が政権に忖度

 理解できないのは検察の対応だ。
 捜査に関して全くのシロウトでも、このようなメモを見れば「安倍・菅・二階・甘利から提供された現金が買収の原資だったのではないか。彼等を呼び出して取調べを行ったり、家宅捜索を行ったりする必要がありそうだ」との考えに至る。
 捜査のプロである検察官、しかもその中でもエリートで構成される東京地検特捜部の面々なら猶更だろう。しかし東京地検特捜部がそのような捜査をしたという報道は、これまで一切目にしていない。
 それもそのはず、なんと特捜部はメモの存在を知りながら、安倍政権に忖度して事件の全容解明のために当然行うべき捜査を尽くさず、安倍らに対して家宅捜索はおろか、任意で取調べに応じるよう要請することすらしなかったというのだ。
 また法律上、特捜部が行う克行の取調べは、克行本人が拒絶しない限り、全て録音・録画する決まりになっていた。これは特捜部の検事が違法な捜査をしていないか、また被疑者(克行)が取調べで何を話したかといったことを、後日に映像等でチェックできるようにするためと言われている。
 しかし中国新聞の報道(「検察、安倍政権に忖度か 政権幹部4人の捜査に及び腰【ばらまきの源流】㊥」)によれば、特捜部の担当検事は克行から「総理2800」などと記載されたメモについて取調べるにあたり、わざわざ克行に録音・録画を拒絶することを打診したというのだ。
 要するに、たとえ克行が安倍からカネをもらったと暴露しても安倍政権にダメージが及ばないようにすべく、そのやりとりが録音・録画に残らないよう検事の方で不要な配慮をしたと言えよう(だが結局、克行はメモについて何ら供述しなかったという)。
 なお米国最大級のニュースサイト「The Daily Beast」が令和2年8月28日付けで配信した記事には、〝法務省の情報筋は、安倍が社会的制裁を受けて辞任する代わりに、安倍の関与が疑われるいくつかの事件捜査を終結する「取引」があったようだと語った〟とある。仮にこれが事実だとすれば、検察の正義などは地に堕ちたも同然だ。

大手メディアの腑抜けぶり

 一方、大手メディアの腑抜けぶりも看過できない。
 冒頭で述べたごとく、先に紹介した中国新聞のスクープを後追いで報じた大手メディアはほとんど無いのだ。安倍の死後もなお、「権力の監視者」たる使命を忘れたメディアの存在が、権力を腐敗させていくことは論を俟たない。
 このことはジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川の性加害問題を見ても明らかだ。
 創業者のジャニー喜多川が事務所のタレントらに対して性加害に及んでいたことなど、メディア関係者なら本年3月にBBC(イギリスの公共放送)が報じる遥か以前から聞き及んでいたに違いない。だが大手メディアは事務所との関係性を良好に保つため頬かむりし、同人と事務所に長年媚び続けた。
 しかるに今になって大手メディアは世論に乗じ、自分たちがこの問題を無視黙殺し続けていたことを棚上げして、新社長らに対して「性加害について知っていたのではないか」などと嬲るように追及し、正義を気取ってみせたわけだが、あまりに卑怯で醜悪としか言いようがない。

国民の負託に応えよ

 国民の負託を受けて刑罰権の適正な行使を担うべき検察も、権力を監視して国民に必要な情報を取材・報道すべき大手メディアも、真に問題とすべき巨悪には圧力等を恐れて切り込まず(むしろ媚び諂い)、その代わりに叩きやすそうな人物をスケープゴートにして徹底的に叩き、あたかも自らの職責を全うし、正義を体現しているかのように装う卑怯・卑劣なパフォーマーに成り下がってしまった。
 そのような体たらくだからこそ、非常識かつ無知・無能・無責任の安倍の横暴を止めることができず、アベノミクスをはじめとする明らかな亡国政策、さらにはこれまでに類を見ないほど大規模な公文書改ざんや買収事件等という大それた犯罪が平然と行われる事態を招いたといえよう。
 検察も大手メディアも猛省すべきである。(天皷)