世相閻魔帳㊲「顕正新聞」令和4年5月15日号
令和3年1月5日、日蓮正宗(宗門)は、「法華講員八十万体勢」の達成を強調し、また海外でも勢力を拡大させたと嘯いた上で、「未来広布へ前進するに相応しい体勢となりました」などと記載した通達を宗内に発し、精一杯の虚勢を張ってみせた。
しかし、本コラムが再三指摘しているとおり、早瀬管長の「法華講員八十万体勢」の達成宣言は嘘八百だった。法華講大講頭・妙観講講頭の大草一男率いる一党がインド・ネパール等でデタラメな勧誘を行って法華講員として計上したヒンズー教徒や釈迦仏法の信者等(約10万人)で水増しを図った悪質さも露見した。
さらに今般、次期管長候補たる能化の「漆畑日実」(海外部長・下条妙蓮寺住職)が管轄する宗門の「海外部」の実態が明らかになった。それは大草一党と同様、折伏の精神や謗法に対する潔癖性など全くない、仏法を「渡世の具」とした禿人らの醜悪な姿であった。
その一例として、インドネシアにおける宗門の堕落した活動実態を紹介する。
クリスマスを祝う
インドネシアには「法清寺」(住職は戸沢良昭)と「妙願寺」(住職は土田法積)という2つの宗門末寺があるほか、「Majelis Nichiren Shoshu Buddha Dharma Indonesia」(「MNSBDI」、直訳すると「インドネシア日蓮正宗協議会」)なる宗門の現地組織が存在する。
もっとも、現地組織の公式サイトには「アンクルン(打楽器)、マーチングバンド、地域のダンス、演劇、音楽からコンテンポラリーダンスまで、さまざまなインドネシアの文化芸術活動に積極的に取り組んでいます」、「献血、眼球提供者の候補者となること、環境の浄化、植林と再植林、洪水防止、その他のさまざまな災害の犠牲者を助けることなどの人道的行動も行っています」などと記載されている。
実際、現地組織が動画共有サイトに投稿している動画は、構成員がダンス、演劇、音楽等に興じる様子を撮影したものばかりで信仰活動に関するものは皆無だった。宗門の現地組織の実態は、単なる「劇団」「パフォーマー集団」なのかもしれない。
また驚いたことに、宗門の現地組織はSNS上で「クリスマス」を祝う投稿を平然と行っていた。もはや開いた口が塞がらない。この一事を見れば、インドネシアの宗門僧俗に信心の欠片もないことは明らかだ。
「御会式」を冒涜
何より許し難いことは、日蓮大聖人の御入滅という深い悲しみの中に、御本仏の「常住不滅」「常住此説法」のお姿を如実に拝し奉り、御付嘱状に示された唯一の御遺命たる広宣流布・国立戒壇建立を見つめて不惜身命の誓いを新たにする、仏弟子にとって最も重大な御報恩の儀式である「御会式」(宗門では「御大会式」を「御会式」と呼称している)を冒涜していることだ。
住職の戸沢や土田がインドネシアで執行した平成28年の「御会式」では、寺の随所に「HAPPY OESIKI」というふざけた飾りつけがなされ、式終了後は様々な料理やゲームを提供する屋台や露店が多く立ち並ぶ「BAZAR OESIKI」(バザー御会式)や「festival」などと称するイベントを開催し、現地信徒や御会式が何かよくわからないまま参列したと思しき現地人たちが飲み食いしながらゲームに興じ、特設ステージでは現地信徒がダンスや音楽等を披露するなど、皆でどんちゃん騒ぎをしているのだ。
なんとステージには御会式にちなんで、桜の花の模様をあしらった幕に「malam hiburan(エンターテインメント・ナイト) Oesiki 2016」とのポップな文字が掲げられている。この戯けた設営を見ただけで、禿人にとっての「御会式」が信徒から供養を収奪し、飲み食い遊ぶ「イベント」でしかないことがよくわかる。
戸沢と土田は「festival」を現地信徒以上に満喫しているように窺われ、殊に戸沢は美味しそうな料理を前にして大はしゃぎ。皿いっぱいに料理を乗せてご満悦の戸沢は、まるで食べ放題のバイキングに連れてこられて嬉しくて仕方のない小学生のようだ。
このような輩には、流罪・死罪を耐え忍ばれた御本仏の大慈大悲、御遺命の重大事などおよそ眼中にないに違いない。
「受けがたき人身を得て適出家せる者も、仏法を学し謗法の者を責めずして徒に遊戯雑談のみして明かし暮さん者は、法師の皮を著たる畜生なり。法師の名を借りて世を渡り身を養うといへども、法師となる義は一つもなし。法師と云う名字をぬすめる盗人なり。恥づべし、恐るべし」
との御本仏の厳しきお誡めを恐れよと言いたい。
極め付きは、「トゥンペン・カーニバル」(Kirab Tumpeng)という農作物を円錐状に積み上げた神輿を担いで農作物の恵みや収穫に感謝する現地の祭りを〝御会式の一環〟として実施していることだ。
現地組織のSNS投稿には「巨大な円錐のシンボルで宇宙への感謝の気持ちを表す」とあり、御会式を取材していた現地ネットメディアも「宇宙と全能の神に感謝を伝えるために行われた」と報じている。邪教の団体と見紛うばかりだ。
早瀬管長の責任は重大
日寛上人は撰時抄文段に「名利の僧等の、仏法を以て渡世の橋と為すが如し」と御指南くだされている。大聖人様を忘れた宗門の禿人らは、〝「謗法厳禁」といえば信徒が離れてしまう。「御会式」をもエンターテイメント化すれば信徒から供養を収奪できる〟とほくそ笑んでいるのだろう。
これが宗門の実態だ。その責任が早瀬管長にあることは論を俟たない。
何度でも言う。宗門は御遺命違背の大罪を大聖人様に謝し奉った上で真摯に出直さない限り、「餓鬼道に堕つる」こと必定である。(天皷)