世相閻魔帳91「顕正新聞」令和6年6月5日号
宗門(日蓮正宗)の信徒組織である法華講連合会の機関紙「大白法」(令和6年4月16日号)の一面に、「御法主日如上人猊下より法華講大講頭の辞令授与」との見出しの記事が掲載されていた。
「法華講大講頭」とは、簡単に言えば宗門の全信徒を代表するような立場の役職だ。
しかし令和4年3月末以降の二年間、宗門では大講頭が不在という状況が続いていた。
「顕正新聞」(令和5年2月5日号)掲載の本コラム「『法華講大講頭』を解任されお払い箱の大草一男」でも述べたが、宗門は令和4年3月末、妙観講々頭・大草一男を「任期満了」との理由で大講頭から事実上解任した際、かかる事実が際立たないようにするためか、大草以外の大講頭も再任しなかったのだ。
「大白法」によると、本年3月25日付けで大講頭に任命された宗門信徒は、次の3人らしい。
・渡邊定元(総本山総代・了性坊所属)
・関野洋夫(法華講連合会委員長・久遠寺所属)
・矢澤正人(同副委員長・法道院所属)
どうやら、大草以外の大講頭経験者(渡邊・関野)が大講頭に再任された一方、大草は再任されず、代わりに矢澤が新たに大講頭に任命されたようだ。要するに早瀬管長は時間をかけて、回りくどいやり方で〝大草外し〟をしたわけだ。
大草のような仏法上・世法上ともに問題だらけの輩を、宗門の全信徒を代表するような大講頭の地位に据え続けることで、宗門の社会的信用が失墜することを恐れたのだろう。
大草一党の悪行の数々
参考までに、今般の人事以前に宗の内外に広く知れ渡っていた大草一党の仏法上・世法上における悪行の中から、代表的なものを幾つか示しておく。
- ①大草が編集・発行に関与する宗門謀略紙「慧妙」は、浅井昭衞先生を貶めんと公式サイト上で〝「カエリタマエ」捏造音声〟を喧伝するという反社会的行為に及んだ。
その後、大草及び妙観講は、顕正会側が音声分析の権威である専門家に「慧妙」が公開した音声の鑑定を依頼して「事後的に合成されたもの」との鑑定結果を得て発表したことに反発し、顕正会側を提訴した。
しかし、裁判所は「慧妙」が公開した音声に関して「不自然な点がある」などと認定し、大草らに全面敗訴の判決を言い渡した(最高裁で大草らの敗訴確定)。
なお顕正会側が依頼した別の鑑定人(警視庁科学警察研究所・法科学第二部音声研究室長や日本鑑識学会会長等を歴任した同分野の第一人者)も、「慧妙」が公開した音声は「音声の結合部分が不連続になっているものと考えることができる」と結論付けている。 - ②講頭の大草が監督すべき妙観講員二名が、非常識にも顕正会本部に不法侵入した挙句、うち一名が本部職員に膝蹴り等の暴力を振るう悪質な刑事事件を起こして「暴行罪」で略式起訴され、有罪が確定した。
- ③大草及び妙観講は、②の暴行事件を報じた「顕正新聞」の記事によって名誉を毀損されたなどと主張して顕正会側を提訴するも、かえって裁判所から
「妙観講員の顕正会員に対する迷惑行為及び暴力行為が多数発生していた」
「迷惑行為及びそれがエスカレートしたものとしての暴力行為が原告ら(大草及び妙観講)の少なくとも黙示の指示に基づくものであったことも推認することができ、この点についても真実性が認められる」
「原告ら(大草及び妙観講)が布教活動と主張する行動の具体的な態様に照らし、これが顕正会員らに対する迷惑行為に当たることは明らかというべき」
などと大草らにとって不都合かつ不名誉極まりない認定を突きつけられ、これを覆そうと最高裁まで足掻くも結局覆すことができなかった。 - ④大草とは高校時代からの付き合いで妙観講の理事等に就いたこともある大草の元側近が、昭和63年頃から平成3年頃の間、顕正会女子部長宅や学会幹部宅、元学会員居住のアパートのみならず、秋元広学(秋元日高)が住職だった「宣徳寺」や八木信瑩(八木日照)が住職だった「塔中妙泉坊」にも「電話盗聴」(犯罪)を行なっていたこと(妙泉坊は未遂)。
これは大草及び妙観講が顕正会側を訴えた裁判において、実に30年以上の時を経て認定された。大草らはこの認定を覆そうと最高裁まで争ったが、これも結局覆せなかった。 - ⑤大草及び妙観講と塔中理境坊の禿人らは、国民の約8割がヒンズー教徒であるインド・ネパールにおいて、邪教の団体を利用したり、「授戒」(改宗)の定義を「祝福」などと謀りながらデタラメな勧誘を繰り返したほか、ネパールで開催された妙観講の行事でヒンズー教の本尊(ガネーシャ像)を祀り、大草も現地の邪教の大学で釈迦の絵像・仏像を目の前に祀りながら講演するという「謗法与同」を犯した(いずれも証拠写真あり)。
「親の仇」
こうして大草一党の悪辣ぶりを改めて確認すると反吐が出るが、①から④については大草一党の「自爆」とも言え、宗門追放に向かって一路驀進する大草一党の姿は滑稽ですらある。
今や〝宗門の面汚し〟と言われている大草一党だが、早瀬管長はその頭目たる大草を未だ宗門から追放せず、本年3月10日付けで妙観講々頭に再任した。早瀬管長の見識と社会性には疑問を呈さざるを得ない。
だが、もしかすると早瀬管長は大草一党の謀略性をよく理解しているゆえに、大草一党を宗門追放することをためらっているのかもしれない。
と言うのも、早瀬管長の実父であり師匠でもある早瀬日慈は、かつて大草一党の謀略によって「総監」辞任に追い込まれたからである。実は早瀬管長にとって大草は「親の仇」なのだ。この点について、簡単に触れておく。
法道院離籍事件
もともと学会員だった大草は学会を脱会して昭和48年4月、早瀬日慈が住職を務めていた「法道院」(東京都豊島区)で入信し直した。
ちょうどその頃より、それまで一体のごとくに見えた学会(池田大作)と宗門(細井日達)の関係に亀裂が生じ始め、細井は自身の意を蔑ろにする早瀬日慈や阿部信雄(阿部日顕)ら親学会派僧侶を憎んでいた。
そうした事情を知った大草は細井に取り入ることを画策し、仲間とともに法道院のあらゆる席で「御法主日達上人猊下におこたえしよう、猊下を死守奉ろう!」などと殊更に喚き、それを咎める法道院幹部らをかえって挑発し、その発言を秘密裏に録音するなどした。
かくて早瀬日慈を追い落とすに足りる材料を収集した大草らは、細井日達に直訴して〝法道院は住職を重んじ、猊下を軽んじている〟などと讒言を構えて巧みに細井の庇護下に入り、その後、仲間を引き連れて法道院を離籍し、塔中理境坊の所属となった。
移籍は謗法?
余談だが、大草らはかかる経緯で法道院を飛び出したにもかかわらず、現在妙観講員には次のような講釈を垂れている。
「寺院御住職や講中の幹部とそりが合わない、……等という個人的都合で、いとも簡単に所属寺院を移ってよい、などと思ったら、たいへんな間違いです。弟子の側から師匠を変える、などということはきょう慢であり、小筋を正していませんから即身成仏の道に外れる謗法となり、初発心の師を捨てるが故に五逆罪を犯すことになります」と。
ならば大草は勿論、大草と共に法道院を離籍した妙観講副講頭の佐藤せい子らも「きょう慢」であり、「即身成仏の道に外れる謗法」「五逆罪」を犯したことになろう。
自分たちの過去を棚に上げて偉そうなことを宣える、その神経を疑う。
冊子「離籍の真相」
話を戻す。法道院離籍後、大草は秘密裏に録音していた法道院幹部らとのやりとり等を巧みに悪用し、法道院離籍の経緯を都合よくまとめた冊子「法道院信徒209名
離籍の真相」を発刊した。
冊子の巻末では、大草の仲間らが「法道院法華講の思想が日蓮正宗から逸脱している」「日蓮正宗とはかけ離れた謗法思想」などと書き殴り、早瀬日慈が住職を務める法道院を徹底的にこき下ろした。
また大草も同冊子で「我々は、さいわいにも、御法主日達上人猊下を根本の大師匠と堅く信じ奉ることができ、無間地獄への道を救われた」と、暗に〝早瀬日慈が住職を務める法道院にいたら「無間地獄」に堕ちていた〟と述べて細井日達にゴマをする一方
「『早瀬一族から次の猊下がでるのは当然のことだ』など、とても信じられぬ発言が阿部氏(法道院信徒)よりあった」
などと早瀬日如管長を含む早瀬一族を蔑んでいる。
その後、早瀬日慈は細井日達から〝全国から大石寺に参集した末寺住職に「離籍の真相」を配布せよ〟と命じられ、大草が拵えた「離籍の真相」を自ら大勢の宗門僧侶一人ひとりに手渡しで配らされるという非道な辱めを受けた末に、「総監」辞任に追い込まれた。
大草への当てつけか
以上が早瀬管長にとって大草が「親の仇」と言われる所以である。
ちなみに今般、早瀬管長から大講頭に任命された矢澤正人は、かつて大草らが「日蓮正宗とはかけ離れた謗法思想」などと叩いた法道院の所属だ。
しかも矢澤は大草と対照的に、令和5年の「新春座談会」(「大白法」同年1月1日号)で早瀬日慈への感謝の念を述べていることから、今でも早瀬日慈を慕っているように窺われる。
こうした事情ゆえか、矢澤は令和4年に早瀬管長から「法華講連合会副委員長」に任じられ、あっという間に大草よりも高い地位に据えられた。
これ大草に対する早瀬管長の「当てつけ」のように見える。
宗門追放のススメ
「顕正新聞」(令和6年5月5日号)には、大草が編集・発行に関与する「慧妙」が〝顕正会が保険金詐欺未遂事件に関与した〟などとデマを掲載したために顕正会から提訴され、東京地裁から80万円の賠償を命じられたことを報ずる記事が掲載されていた。
しかも記事によれば、「慧妙」の記事を鵜呑みにしてデマを拡散した哀れな末寺や宗門僧俗までも顕正会から既に提訴され、或いは今後提訴される予定だという。
早瀬管長は、大草の大講頭職をコッソリ解くだけでなく、宗門及び社会に悪臭を撒き散らす大草一党を速やかに宗門追放すべきである。(天皷)