世相閻魔帳

顕正新聞のコラム「世相閻魔帳」

身延派と誼を通じる宗門の腐敗堕落

世相閻魔帳65「顕正新聞」令和5年3月5日号

 かつて浅井先生は御遺命破壊の元凶たる池田大作、そして池田に諂った細井日達・阿部日顕、さらにこの二人の貫首に取り入った「寄生虫」とも言うべき山崎正友(元学会顧問弁護士。学会を造反した後は妙観講員)と大草一男(妙観講々頭)の五人の名を挙げ
 「この五人は、第六天の魔王に、戒壇の大御本尊様への信を抜き取られてしまったのである。大御本尊様への信を失えば、御遺命の国立戒壇を捨てることは当然。これがこのたびの『御遺命破壊』の本質である
 と指導下さり、その中で宗門が対学会抗争を有利に進めるために仏敵・身延派(邪宗日蓮宗)と連携した謗法与同を指弾された。
 宗門と身延派の交流は、大草の手引きで宗門に寝返った山崎が身延派との連携に力を入れたことで活発化していった。
 この山崎正友という男は、平成6年12月6日、身延派・京浜教区教化研究会議に出席し、悪書「板本尊偽作論」を持ち出して身延派坊主どもに〝戒壇の大御本尊を攻撃せよ〟と嗾けた信心の欠片もない輩である。

身延僧を大石寺に招待

 平成6年11月5日、日蓮宗身延派の総本山・久遠寺内の志摩坊住職で山梨県第一部布教師会長でもある佐藤順映以下8人の身延僧が大石寺を参拝した。
 一行を懇ろに正本堂などの山内施設に案内したのは大石寺理事・理境坊住職・妙観講指導教師の小川只道だった。無論、小川が独断でこのようなことを行える筈がなく、阿部日顕の承諾を得ていたことは言うまでもない。
 後日に佐藤順映は「大石寺研修参拝記~他宗には門戸開かぬ大石寺に柔軟性」なる記事を「布教師会報」に公表したが、その中に次の記述がある。
 「時の推移とは云え過去頑迷なまでに他宗には門戸を開かなかった大石寺が、堂内外の案内に応じたという変化を我々は機敏にとらえ、柔軟な姿勢に最大限の評価を下し、更に日蓮門下の一員と云う連帯感の醸成に陰に陽に働きかける絶好の機と思うが如何であろうか。
 懇切なる案内をしてくれた教師から、ほどなく一通の礼状が届いた。
 〝皆様の暖かなお心に触れ、外はめっきり寒くなっていたにも拘わらず、暖かな気持ちで御案内申し上げることができましたことを感謝しております〟と。
 察するに今置かれている大石寺の立場を鮮明に表しているものと理解するがうがち過ぎだろうか」と。
 他宗に対する大石寺の姿勢が従前と様変わりし、また大石寺理事の小川只道から懇ろなる礼状まで届いたことに佐藤順映は驚いているのである。
 それにしても、仏敵に対し「皆様の暖かなお心に触れ、……暖かな気持ちで御案内申し上げることができ」たことを「感謝」するとは何事か。これこそ「仏法中怨」の誡めに背き、日興上人の身延離山の大精神を蹂躙する許し難き所行であり、腐敗堕落の極というべきである。
 また平成7年6月6日には、身延派管長に就任する直前の田中日淳の一行32人が大石寺を参拝した。
 この時は能化の高野日海が袈裟衣を着けた正装で丁重に出迎え、正本堂をはじめ山内をくまなく案内し、一行を蓮葉庵で手厚くもてなした。
 実は同月24日、国際正法協会という邪教のシンポジウムで登壇した山崎正友は「6月6日に御法主上人(※阿部日顕のこと)にお目通りし、ねんごろに懇談した。今後のことも種々語り合った」と明かし、概ね〝大石寺日蓮宗の僧侶が見学に来た。謗法として追い返すようなことはせず、丁重に迎えた。与同罪と言わずに、もっと広く皆と一緒にやることが大事だ〟と述べたという。
 つまり田中日淳一行が大石寺を参拝したその日、阿部日顕は身延との関係について山崎正友と謀議をこらしていたのだ。この時、山崎正友は妙観講員であるから、講頭の大草一男もこの事実を知っていたと窺われる。
 いずれにせよ、この頃より宗門と身延の交流が頻繁に行われ、宗門僧俗も誰憚ることなく日蓮宗寺院を訪れるようになった。
 主だったものを記す。
 平成7年3月12日、久成坊住職・関快道は20数人の法華講員を率いて千葉の誕生寺・清澄寺等の日蓮宗寺院を巡った。
 平成7年7月3日、富士学林大学科の宗門僧侶が研修旅行で鶴岡八幡宮・竜口寺・安国論寺等を見学。
 平成7年8月20日、宗門の法華講総講頭・柳沢喜惣次が、阿部日顕の息子・信彰(宗門能化・布教部長・常在寺住職の阿部日明)が住職を務める大修寺の法華講員約20人を率いて身延山久遠寺に参詣。
 平成13年8月7日、大石寺所化20人が「史跡研修」と称して身延派の北山本門寺を訪れ、本堂で唱題、等々。

日蓮正宗教学研鑽所」の謗法与同

 そして宗門と身延派の交流は今も行われている。
 あまり知られていないが、宗門には「伝統法義の護持宣揚、教学の振興および布教の進展に必要な研鑚」を目的として平成24年に設立された「日蓮正宗教学研鑽所」なる研究機関のようなものがある。そこに所属している堀部正円や長倉信祐などの宗門僧侶の言動は目を疑うばかりだ。
 あろうことか、堀部らは広宣流布とはかけ離れた衒学的な研究に耽り、それを日蓮宗宗務院(東京都池上)・立正大学身延山大学三者持ち回りで毎年開催される身延派の学術大会「日蓮宗教学研究発表大会」(総裁は身延派管長で、他の大会役員も全て身延派関係者)で何度も発表しているのだ。
 しかも日蓮正宗教学研鑽所の公式サイトは「日蓮宗宗務院(東京都池上)で開催される、第68回日蓮宗教学研究発表大会にて、所属の研鑚員より以下の発表があります。……」(平成27年11月3日掲載)と謗法の本拠地にノコノコと赴き、研究発表を行うことを誇らしげに堂々と宣伝しているから唖然とする。
 ちなみに立正大学仏教学会の機関誌「大崎学報」(令和4年3月号)には、身延派関係者の論文とともに堀部の論文が掲載されている。
 同論文の末尾には「都守基一氏より常円寺日蓮仏教研究所所蔵の日柔本録内二冊、録外四冊をお借りする機会に恵まれた。……都守氏に謹んで御礼申し上げたい。本稿執筆の後押しをして下さった安中尚史先生、閲覧等事務で種々お世話になった神田大輝先生にも感謝申し上げる」などと謝辞が掲載されているから呆れるばかりだ。都守らは身延派坊主ないし立正大学の教授ではないか。
 また堀部も発表を行った「第70回日蓮宗教学研究発表大会」(平成29年11月)では、身延派坊主・水谷進良が「堅樹院日寛教学の一考察」なる発表を行っているが、この水谷は日寛上人の教学を否定しているばかりか、「本因妙抄」「百六箇抄」等の相伝書について「偽疑が濃厚」との悪言を吐いている悪僧である。

身延派は「戒壇の大御本尊様の敵」

 今さら言うまでもないが、身延派が戒壇の大御本尊様を否定する「仏敵」「大謗法の徒」であることは身延派坊主で立正大学助教授の安永弁哲が書いた悪書「板本尊偽作論」を見れば否定の余地などない。
 かかる悪書は恐れ多くも戒壇の大御本尊様に対し奉りデタラメの限りを尽くし、捏造に捏造を重ねて書き殴り、日目上人の崇高なる垂井での御遷化を「垂井で野垂れ死にした」などと書いた下劣極まるものだ。
 これら「戒壇の大御本尊様の敵」である大謗法の徒を呵責もせず、むしろ親しく付き合い仲良く研究発表ができること自体、宗門僧侶には戒壇の大御本尊様への信心の欠片もない証左だ。もはや宗門僧侶にとって、身延派坊主は「仏敵」ではなく「同業者」「お友達」なのだろう。

身延派の奸計

 余談だが令和元年9月16日、身延派は〝信徒減少で食っていけなくなってきた苦境の打破〟のため、「共栄運動」なる計画を始動させた。
 身延派は「世界・日本の仏教徒と共に栄える」「題目系教団と共に栄える」を旗印に、「各宗各教団との連携」「門下連合・題目系教団とのさらなる交流」を図るなど、「あらゆる手段」を用いて最終的に「お題目と法華経の聖地として全世界に認知される事」を目指すとしている。
 つまり身延派は生存戦略として同じく窮状に喘ぐ「題目系教団」に協力関係を呼びかけ、自らの傘下に取り込むことを目論んでいるように窺われる。
 恐らく宗門僧侶には身延派の奸計など眼中にないだろう。
 所詮、戒壇の大御本尊様への信なき職業僧侶には、第六天の魔王に対する用心など微塵もないのだ。だからこそ、天魔その身に入る池田大作に諂い、唯々諾々と御遺命を売り渡し、今や戒壇の大御本尊様を「営利の具」として、戒壇の大御本尊様に害意を懐く悪人にその隙を与える「不敬の御開扉」を強行できるのである。
 邪な奸計を巡らす身延と同業者意識で誼を通じる宗門の禿人どもの度し難い無道心、馬鹿さ加減は言語に絶する。
 就職のために出家した「法師の皮を著たる畜生」「法師と云う名字をぬすめる盗人」は速やかに還俗すべきである。(天皷)