世相閻魔帳

顕正新聞のコラム「世相閻魔帳」

宗内に巣くう寄生虫「妙観講」の実態②〈法道院離籍事件〉

世相閻魔帳85「顕正新聞」令和5年9月25日号

 日蓮正宗(宗門)第67代管長・阿部日顕直属の謀略部隊「妙観講」(講頭は大草一男)の前身は、元々「法道院」(東京都豊島区)に所属していた大草が仲間を引き連れて法道院を離籍し、大石寺塔中「理境坊」に移籍後に結成された「理境坊東京支部」である。
 今回は、大草の「法道院離籍事件」について委細に見ていくが、その経緯を知るだけでも大草が類い希な謀略性の持ち主であることがよく理解できよう。

顰蹙を買う大草ら

 当初、創価学会に入信していた大草は学会を脱会し、昭和48年4月、19歳の時に早瀬日慈総監が住職を務める「法道院」で入信し直した。
 しかし野心家の大草は法道院に馴染もうとはせず、法道院で行われる御講を「毎回、同じパターンで繰り返される思想訓練」などと侮蔑し、専ら自らを中心とした勢力の培養に躍起になっていた。ために大草は他の法道院信徒から白い目で見られ、謗法呼ばわりされていたという。
 ちょうどこの頃より、それまで一体のごとくに見えた学会・宗門の関係に亀裂が生じ始めた。正本堂落成一周年記念法要の折、浅井先生に諫められるたびに態度をクルクル変える細井日達に不信を懐いた池田大作が大衆の面前で細井日達を怒鳴りつけた上で、学会に13億5千万円を寄付するよう要求したことで、細井日達も学会批判を展開するようになっていったのだ。
 ところが、当時の宗務院は早瀬総監・阿部信雄教学部長(後の日顕)といった親学会派僧侶で占められており、細井日達は自身の意を蔑ろにする早瀬・阿部の宗務役僧の姿勢を折に触れて非難していた。
 昭和52年、細井日達池田大作の不和が表面化すると、細井日達は反学会活動家僧侶(後の正信会)に檄を飛ばし、法華講員に対しても学会に対抗するよう呼び掛けた。
 大草は親学会派僧侶の早瀬総監を憎む細井日達に取り入ることを画策し、早瀬総監を重んずる法道院幹部の言動に噛みつき、法道院のあらゆる席で「御法主日達上人猊下におこたえしよう、猊下を死守奉ろう!」などと殊更に主張するようになる。
 こうした大草の行動を目障りに思った法道院幹部らが大草とその仲間たちを窘めるも、陰湿で狡猾な大草らは、かえって彼らを挑発してはその発言を秘密裏に録音していた。

「本従の師」問題

 その頃、法道院の機関紙「法之道」(昭和52年8月1日号)に「日蓮大聖人の仏法を教え、導いてくれる『本従の師』御主管(早瀬総監)の指導通り、勇躍歓喜して……」と「本従の師」を誤用した教学未熟な信徒による記事が掲載された。言うまでもなく「本従の師」とは、末法においては御本仏・日蓮大聖人の御事である。
 かかる筆禍事件を奇貨として大草とその仲間たちは、法道院執事だった志岐長道や法道院幹部らに当該記事に関する見解を問い、その回答も隠し録音した。

細井日達の「肖像画」事件

 また、大草は昭和52年11月16日、大草の自宅で行われる御講に赴いた志岐長道が部屋にかけてあった不出来な細井日達肖像画法道院の婦人部幹部が描いたもの)を見て「なんだ、こりゃ!」と口走ったことを密告した。
 細井日達は憤慨し、会合で「私の弟子でも、私の写真に対して『これは何だ』と云った人もあるそうだ。誠に恐ろしい世の中だ」(「蓮華」第84号)と述べている。大草にまんまと乗せられたようだ。

法道院離籍

 かくて早瀬総監を追い落とすに足る材料を収集した大草は、昭和52年12月27日、満を持して東京都文京区の大石寺出張所に下向していた細井日達に直訴し、〝法道院は住職を重んじ、猊下を軽んじている〟などと讒言を構えた。
 〝早瀬憎し〟の細井日達は、大草の告発を渡りに船とばかりに喜び、その場で大草グループの法道院離籍を認めた。
 まんまと細井日達を誑し込むことに成功した大草は翌28日、209名の仲間を引き連れて法道院を離籍し、その後、細井日達の庇護を受けて塔中理境坊(住職は小川只道)の所属となった。

有力信徒を踏み台に

 ちなみに、この209名は当時23歳だった大草一人の力で引き連れたわけではない。
 大草は、当時法道院の婦人部長そして法華講連合会の幹事も務めていた高齢の倉持治子という有力信徒を抱き込み、倉持の人望を利用して大勢の者を離籍させたのだ。細井日達に直訴する際も、大草は倉持を同席させている。
 そもそも、当時の大草のグループはわずか10名程度で、残りの約200名は倉持の率いるグループであったという。ために法道院離籍後、妙観講の前身たる「理境坊東京支部」の支部長に就任したのは、大草ではなく倉持だった(大草の役職は「総部長」)。
 しかしその後、倉持治子は用済みとなったのだろう。法道院の離籍後ほどなくして、倉持は別寺院への移籍を余儀なくされた。

冊子「離籍の真相」

 法道院を離籍した直後の昭和53年1月25日、大草はそれまで秘密裏に録音していた法道院幹部らとのやりとり等を巧妙に悪用し、法道院離籍の経緯を自らに都合よくまとめた冊子「法道院信徒209名 離籍の真相」を発刊する。
 その中で大草は「我々は、さいわいにも、御法主日達上人猊下を根本の大師匠と堅く信じ奉ることができ、無間地獄への道を救われた」と細井にゴマをすっている。
 また巻末には「移籍者の体験手記」として「法道院法華講の思想が日蓮正宗から逸脱している」「日蓮正宗とはかけ離れた謗法思想」「此の度、法道院を離脱でき、……本当に最高の慶び」などと仲間に書かせ、やはり法道院と早瀬総監を徹底的に叩いている。
 指導教師の小川只道もこの冊子に序文を寄せて「今、彼等(大草ら)に対し、邪心を以て悪口・誹謗を浴びせる者は、日蓮正宗の信仰を妨げ、延いては御法主上人猊下に敵対する大謗法の者と断ぜざるをえない」と離籍した大草らを擁護し、早瀬総監ならびに法道院幹部らを暗に「大謗法の者」とまで断定して貶めている。

早瀬総監、辞任

 その後も細井日達は、大草から得た情報をもとに寺族同心会等の会合や法要において法道院を批判し、早瀬総監をこき下ろした。
 さらに細井日達は仇敵である早瀬総監に対し、大草が作った悪意に満ちた「離籍の真相」を〝全国から大石寺に参集した末寺住職に配布せよ〟と命じた。
 かくて早瀬総監は法道院を徹底して貶めた「離籍の真相」を大勢の宗門僧侶一人ひとりに手渡しで配らされるという辱めを受け、その一年後の昭和54年4月、「総監」を辞任させられた。

法道院では堕獄〟

 大草は「離籍の真相」発刊後も配下の面々に「暁鐘」誌上で法道院と早瀬総監に対する悪口中傷を執拗に行わせた。一例を挙げる。
 「猊下様をないがしろにする法道院
 「私達は、総部長(大草)の本当に猊下様をお慕いし、あくまでも猊下様を根本の師匠とした信心のおかげで、地獄に堕ちるのをまぬがれてきた
 「理境坊支部になって今、一番嬉しい事は、法道院時代には、どんなに願っても叶わなかった僧俗和合のすばらしい姿が、小川御住職との間に確立されたこと
 「離籍した功徳が、今になっても厳然と現われている」等々。

早瀬管長の腹の内

 翻って思うに、実父の早瀬総監が大草らから受けた屈辱を早瀬日如管長が忘れる筈がなく、このことは早瀬日如管長の人事を見ても優に窺われる。
 早瀬日如管長は登座から暫く経った後、かつて大草が槍玉に挙げた「本従の師」に関する記事を書いたとされる法道院信徒・篠田泰夫に「法華講大講頭」と「法華講連合会副委員長」の役職を与え、同人の宗内における地位を大草よりも上に据えたのだ(当時、大草の役職は「法華講大講頭」のみだった)。
 また篠田の死後、早瀬日如管長は、大草より遅れて法華講大講頭となった関野洋夫(久遠寺信徒)を後任の副委員長に任命し、関野が委員長に繰り上がると、またも大草より遅れて法華講大講頭になった矢澤正人(法道院信徒)を副委員長に任命した。
 これらの人事は大草に対する明らかな「当てつけ」と言えよう。
 そして令和4年3月末、大草が「法華講大講頭」を任期満了という理由で事実上〝解任〟されたことは、これまでに述べたとおりである。

大草の大誤算

 まさか自らが追い落とした早瀬総監の子が管長に成る日が来るとは、当時の大草は全く想像していなかっただろう。
 実際、大草は「離籍の真相」で「『早瀬一族から次の猊下がでるのは当然のことだ』など、とても信じられぬ発言が阿部氏法道院信徒)よりあった。どうやら、未だ見ぬ六十七世御法主上人を拝み、現在只今の信心を失ったらしい」と早瀬日如管長を含めた早瀬一族を蔑んでいる。
 阿部日顕という宿主を失った父親の仇敵を早瀬日如管長がいかに駆除するのか見物である。(天皷)

宗内に巣くう寄生虫「妙観講」の実態①

世相閻魔帳84「顕正新聞」令和5年9月15日号

 令和元年9月20日、日蓮正宗(宗門)の第67代管長・阿部日顕が命終したことで、その直属の謀略部隊「妙観講」(塔中理境坊所属)及びその講頭である大草一男が宗内から消え去るのは、もはや時間の問題となった。
 宿主が命終した以上、その寄生虫が自力で生存していける道理は無いからだ。
 本コラムでは、これまでも大草一党の悪事やペテン・虚言等を明らかにしてきたが、今般、改めて細井日達・阿部日顕の二代の悪貫首に取り入り正系門家の中で跳梁跋扈してきた大草一党の悪行の数々を総括し、留めておくことにする。(不定期連載)

法道院時代

 始めに、大草一男がいかに巧みに宗内を泳いできたのか、その軌跡を辿ってみる。
 大草は昭和47年2月、18歳の時に創価学会に入信したが、その後、仲間を引き連れて学会を脱会し、昭和48年4月、早瀬日慈総監(第68代管長・早瀬日如の父親)が住職を務めていた「法道院」(東京都豊島区)に所属した。
 しかし大草とその仲間は当時法道院の内部で孤立し、法道院幹部から顰蹙を買い謗法呼ばわりされていたという。
 昭和52年、宗門(第66代管長・細井日達)と創価学会(第3代会長・池田大作)との間に不和が生じると、池田大作は「法器会」という派閥を率いて宗内に隠然たる勢力を有していた宗門ナンバー2の早瀬総監に肩入れを始める。これが細井日達には大きな脅威に映った。
 この僧侶間の派閥争いを知った大草は、それを奇貨として細井日達に取り入ることを画策し、法道院の住職である早瀬総監を追い落とさんとした。
 大草は法道院の機関紙に掲載された教学未熟な信徒の記事等を利用し、〝法道院は住職を重んじ、猊下を軽んじている〟などと讒言を構えた上で
 「現御法主日達上人猊下は、今の全世界に唯一人、我等が主・師・親、現時における日蓮大聖人様と拝し奉るべき御方なのである」(「法道院信徒209名 離籍の真相」)
 などと馬鹿げた諛言を主張した。
 この他にも大草は「現御法主上人猊下を生きておられる日蓮大聖人様と仰ぎ、……猊下の御振舞の中に生身の大聖人様の御振舞を拝し」(暁鐘5号)、「法主上人猊下は生きておられる御本仏日蓮大聖人であり、生きておられる御本尊様」(同前)、「常に御法主上人猊下の御指南を、全て、そのまま大聖人の御金言と拝し」(暁鐘19号)などと諂っているが、馬鹿も休み休み言え。
 正本堂の誑惑に加担した貫首が「主・師・親」「現時における日蓮大聖人」である筈がない。末法万年に「主・師・親の三徳」は日蓮大聖人ただ御一人であられる。
 かくて思惑どおり、短慮で感情が激しい細井日達の〝早瀬憎し〟の思いにつけ入ることに成功した大草は、昭和52年12月末、仲間とともに法道院を離籍して大石寺塔中の「理境坊」(住職は小川只道)所属となり、それ以後、細井の下で謀略活動を展開した。
 一方、早瀬総監は、大草の讒言を取り上げた細井日達によって辞任に追い込まれた。この「法道院離籍事件」については、追って詳述したい。

寄生虫たる所以

 ところが昭和54年7月22日に学会との抗争に性心を労した細井日達が急逝すると大草は、池田大作の庇護を受けて新たな管長となった阿部日顕に取り入ることを企て、掌を返す。
 なんと大草はそれまでの反学会の姿勢を変遷させ、阿部日顕に同調して池田大作と学会を擁護するとともに、つい先日まで細井日達の下で共闘していた反学会活動家僧侶ら(後の正信会)への攻撃を開始した。
 変節漢の面目躍如といったところだが、この男の行動原理が大聖人様の御目を些かも恐れず、ただ利害で動いて時の貫首に諂い点数稼ぎをするだけであることがわかる。
 参考までに、大草が池田大作と学会を擁護した具体例を少しだけ挙げておく。
 大草は、偽戒壇正本堂の大前机に刻まれた、醜悪にして不敬の極みというべき池田大作の裸体レリーフについて「池田氏とは似ても似つかぬ顔」(暁鐘51号)などと書き、大いに宣伝してみせた。
 また池田大作正本堂完工式にバチカン市国キリスト教神父を招いた謗法与同についても、大草は「バチカン外交官の二名が着ていたのはスータンと呼ばれる外出着であって、法服などではない」(「続・摧破異流儀考」)と謀り、池田を擁護した。
 こうした破廉恥なまでの変わり身の早さが功を奏し、大草は学会と一体の阿部日顕に取り入ることにも成功した。その様は、寄生虫が巧みな生存戦略を駆使し、新たな宿主に乗り移るがごとくである。
 これが大草一党を「宗門に深く巣食った寄生虫」と呼ぶ所以の一つである。
 余談だが、大草は配下の妙観講員にインド・ネパールにおいてデタラメ勧誘を大規模に行わせ、大草自身も現地人の歓心を買うため謗法(ヒンズー教や釈迦仏法)に与同し、早瀬日如管長がぶち上げた「法華講員80万人体勢」の虚構に貢献した。
 大草としては、「親の仇」として自身を憎悪する早瀬日如管長に恩を売ることで、阿部日顕の命終後も生き長らえようと苦心したのであろう。

顕正会への異常な怨嫉

 阿部日顕に寄生した大草一党の対立相手への謀略活動はえげつなさの極みで、当然その矛先は宗門の御遺命違背を徹底糾弾される浅井先生にも及んだ。
 大草の配下の妙観講員らの中には、「極悪謗法集団・顕正会」「一日も早い顕正会壊滅の実現に向けて、精一杯御奉公させていただく決意」「犬性界壊滅への戦いを進める」「犬性界の撲滅に、力の限り共に闘わせていただきます」などと異様な宣誓をする者のほか、顕正会の会館付近に出没して浅井先生を誹謗中傷する者、果ては顕正会員に暴行まで振るう者もいた。
 また大草は阿部日顕の歓心を買うためにタバカリに満ち満ちた悪書を物し、学会・宗門が蜜月状態の時代には偽戒壇正本堂を〝御遺命の戒壇〟と讃嘆し、池田大作の御遺命違背を正当化しようとした(ちなみに大草は正本堂崩壊後、悪書の中で都合が悪くなった記述を急いで削除・修正し、「新編」として発刊し直すという小細工を弄している)。
 なお妙観講において理事や教学部長等の要職を歴任した渡邉茂夫は、昭和63年から平成元年頃、顕正会女子部長宅の「電話盗聴」に及んでいた(歴とした〝犯罪〟である)。

対学会抗争でペテン性を発揮

 浅井先生の捨身の諫暁によって「本門寺改称」の陰謀が潰えた平成2年末頃より、学会と宗門との間で「修羅と悪竜の合戦」そのままの大抗争が勃発すると、学会は昭和38年に阿部日顕が出張授戒のためアメリカに赴いた際に売春婦とトラブルを起こしたとされる「シアトル事件」をはじめ、阿部日顕のスキャンダルを次々と暴露した。
 阿部日顕は「提婆の虚誑罪」「倶伽利の欺誑罪」にも勝るとも劣らない大草のペテンを利用して窮地を脱することを目論み、平成5年1月、自ら「慧妙」と命名した宗門謀略紙を創刊し(阿部日顕が題字を揮毫)、その編集・発行を大草一党に行わせた。
 例えば「慧妙」は池田大作を貶めるため、〝池田に3回も強姦された〟という元学会幹部の大ウソ(信平狂言事件)を大々的に報じるなどした。
  ウソや詭弁で学会のスキャンダル攻撃から守ってくれる大草と「慧妙」を大変重用した阿部日顕は、「慧妙」のエゲツナイ紙面に嫌悪感を懐く宗門僧侶の尻を叩き、各末寺の寺院会計で「慧妙」を多数部購読するよう強要までした。
 かくて阿部日顕の直属の謀略部隊としてその要求に応え続けた功績により、大草は平成16年、阿部から「法華講大講頭」(全信徒を代表するような立場)に任命される。
 しかし平成17年、浅井先生が顕正会の解散を賭して「僧侶・信徒を問わず代人を立てることを認める」等の約定で公開対決を阿部日顕に申し入れたところ、阿部日顕以下の全宗門僧侶に加え、「顕正会撲滅」を掲げていた大草も〝敵前逃亡〟してしまう。
 その後、大草一党は帝釈に責められて無熱池の蓮の中に小さくなって隠れた修羅のように鳴りを潜めていたが、細井日達の悪臨終が明るみとなった平成30年9月頃より蠢動し始め、敵前逃亡の汚名を返上せんと再び謀略活動を行うようになった。
 妙観講員が大草の指示に基づいて顕正会員に暴行・迷惑行為等に及ぶ事件も複数発生し、有罪判決を言い渡される妙観講員も出た。
 また「慧妙」は、あたかも浅井先生が大草一党から逃げているかのように印象付けようとして、「カエリタマエ」との捏造音声を公式サイトにアップし、これを大々的に喧伝するという反社会的な行為にまで及んだ。
 なお、こうした大草一党の悪行は、裁判所から「顕正会員らに対する迷惑行為に当たることは明らか」「妙観講員による迷惑行為、暴力行為……原告妙観講(原告大草)の事後対応の内容等という社会的非難の対象になる行動、言動」などと認定・断罪されている。

事実上の「大講頭」解任

 かねてより大草一党の海外でのデタラメ勧誘や悪行を問題視した宗門執行部は、大草を呼びつけて事情聴取を行うなどし、ついに令和4年3月末、「任期満了」を理由に大草の法華講大講頭の任を解いた。事実上の解任だ。
 二代の貫首に取り入り、法華講を統べる立場になることを夢見ていた大草の切歯扼腕する姿が目に浮かぶ。
 次回以降、大草の悪行等を具にみていく。(天皷)

利権に群がるアベ友の浅ましさ

世相閻魔帳83「顕正新聞」令和5年9月5日号

 亡国の政治家・安倍晋三の悪政は数知れないが、いずれも「国政の私物化」「オトモダチ優遇」が甚だしい。
 二人三脚で改憲を推し進めた極右団体「日本会議」(日本会議大阪)の役員であり園児に教育勅語を暗唱させるなどしていた籠池泰典が理事長を務めていた学校法人に対し、安倍が評価額約9億6千万円の国有地をほとんどタダ同然で払い下げるよう仕向けたとされる「森友事件」。
 「腹心の友」である加計孝太郎が理事長を務める岡山理科大学獣医学部新設に当たり、安倍が便宜を図ったとされる「加計学園問題」。
 公費で飲み食いする公的行事を私物化し、そこに自身の後援会関係者等を大勢招待したばかりか、その前夜祭として都内高級ホテルで彼らをもてなして飲食費用の補填(公選法違反)をした「桜を見る会問題」等々。
 前回の本コラムで言及したゴタゴタ続きの「大阪・関西万博」で総合プロデューサーを務めている森下竜一・大阪大寄附講座教授もアベ友の一人だ。
 以下、胡散臭い森下と安倍、さらには維新との関係性等について簡単に述べる。

アベ友・森下竜一

 第二次安倍政権で内閣官房の「健康・医療戦略室」の顧問(参与)を務めた森下は、加計孝太郎や日本大学の附属病院の医療機器調達をめぐる背任事件で逮捕された医療法人「錦秀会」前理事長・籔本雅巳らと繋がりのある安倍のゴルフ友達だ。
 平成25年5月、安倍は山梨にある自身の別荘で加計や萩生田光一自民党総裁特別補佐(当時)とバーベキューを楽しんだ翌日、行きつけのゴルフ場にオトモダチを招待してミニコンペを開催。森下も招待され、萩生田や籔本と同じ組でゴルフに興じたという。
 余談だが当日ゴルフに参加していた他のアベ友は、首相秘書官として加計疑惑を「首相案件」と述べておきながら「記憶にない」と誤魔化し続けた柳瀬唯夫(現在はNTTに天下り副社長に収まる)、後に警視総監となった大石吉彦(安倍銃撃事件後に引責辞任)、アベノミクスのバックアップに腐心した御用経済学者の本田悦朗などのお歴々だ。

大失敗した「大阪ワクチン」

 自民党の「補完勢力」「第2自民党」というべき「日本維新の会」の共同代表で「大阪維新の会」代表でもある吉村洋文・大阪府知事が維新の宣伝のために利用したと言い得る「大阪ワクチン」の開発に名乗りを上げたのも、森下が創業し、今なお大量の株を保有している創薬ベンチャーの「アンジェス」だった。
 念のため大阪ワクチンについて簡略に説明しておく。
 これは新型コロナの感染拡大に全国が慄いていた令和2年3月、吉村が唐突に開発計画を宣言して散々宣伝し続けたものの、令和4年9月に開発を断念した代物だ。
 吉村はSNS等で「ワクチン、予防薬ができれば、コロナとの戦いを一気に形勢逆転できる。大阪の力を結集させ、治験、実用化に乗り出す。大阪府市、大学、病院機構。早ければ7月治験、9月実用化、年内量産。最前線の医療関係者から治験。大阪医学は、コロナに打ち勝つ力があることを証明する」(令和2年4月14日)などと大言壮語し、開発を断念した際も「チャレンジしないと成功もない」と平然と開き直る有様。
 かかる吉村の無責任ぶりと、維新が行政を牛耳っている大阪の新型コロナの死者数が実数も100万人当たりの割合も〝全国ワースト〟という悲惨な実態を併せ見れば、維新がいかに口先だけの〝無責任&無能な集団〟であるかが理解できる。

補助金75億円丸取り

 しかしアンジェスの大阪ワクチン開発失敗は「無能」の一言で終わらせてよい話では無い。
 と言うのも、森下が創業して大量の株を保有しているアンジェスは令和2年8月7日、国内大手の「塩野義製薬」や「第一三共」らとともに厚労省から新型コロナワクチン開発の補助金の投入先に決まり、約75億円もの巨額の補助金を受け取っているのだ。
 しかもこの補助金はワクチンの実用化に成功した場合には返還義務が発生するが、失敗した場合には返還義務が発生しないという。
 つまり大阪ワクチンの開発に失敗したアンジェスには巨額の補助金の返還義務が発生せず、これを丸取りすることが許されるわけだが、どうにも納得できる話ではない。
 そもそもアンジェスのようなバイオベンチャー企業に新型コロナに有用なワクチンを開発・実用化できる見込みがあったのか甚だ疑問が残る。仮に失敗することがわかりきった企業に敢えて巨額の補助金を投入したとなれば大問題だ。

開発実績はほぼゼロ

 この点については令和4年4月6日、立憲民主党吉田統彦衆院議員が厚生労働委員会で追及している。その具体的内容は
 「(アンジェスは)医薬品の開発においては、肝細胞成長因子遺伝子治療薬の開発を行って、2008年4月に厚生労働省に承認申請したものの、2009年に申請取下げ。今度は米国中心の国際共同治験の場に移しましたが、想像以上に患者さんが集まらず、2016年に中止となっている。その後、さっき、医薬品条件付早期承認制度を利用して、2019年3月に国内初の遺伝子治療薬、コラテジェンが承認されるまで、実質的に医薬品などを開発した実績はない
 「20期連続赤字で、やけに役員報酬が高くて、こういった経営をしている企業を補助金助成金の対象とするのは、一般の国民からするとちょっと理解がしづらい」というものだ。
 吉田議員の指摘どおりだとすれば、アンジェスに新型コロナに有用なワクチンを開発・実用化できる見込みがあったとは到底考え難い。
 にもかかわらずアンジェスに巨額の補助金が投入されたのは〝アンジェスの創業者であり大株主の森下がアベ友であることが考慮され、不当に行政が歪められたから〟すなわち〝加計学園問題のように「首相案件」「アンジェスありき」だったから〟と疑われても致し方あるまい(令和2年8月7日当時、安倍はまだ首相の座に居座っていた)。
 いずれにせよ、アンジェスに巨額の補助金の返還を求めないのであれば、補助金投入の決定過程に不透明な部分がないか、また無駄遣いがないか(補助金の使途)を徹底検証する必要があろう。

万博の仕切りも森下

 そのような森下は、現在、維新の創設者であるペテン師の橋下徹(弁護士・政治評論家)とその相棒の松井一郎が安倍政権のバックアップを得て誘致に成功した「大阪・関西万博」(令和7年開催)の「総合プロデューサー」に就任しているから唖然とする。
 いったい誰がどういった理由でいかがわしい森下を総合プロデューサーに選任したのか。
 前回の本コラムでも触れたが、見通しの甘さゆえに万博の開催費用はどんどん膨れ上がっており、また万博の目玉と言われているパビリオン(展示館)の建設も開催までに間に合わない可能性が濃厚だ。
 このままでは万博も大阪ワクチンの二の舞になろう。

森功氏が追及する疑惑

 ちなみに、「加計学園問題」を徹底取材してその核心を解き明かしたノンフィクション「悪だくみ」(文藝春秋)の著者である森功氏(ジャーナリスト)は、昨年10月から「大阪万博の『闇』」などと題するスクープ記事を「週刊現代」に数多く掲載している。
 詳細は省くが、森氏は
 「万博の中核となるパビリオン計画に絶大な影響力を振るってきた『2025年日本国際博覧会大阪パビリオン推進委員会』の総合プロデューサー(森下)が、出展企業の顧問を兼務し、顧問料を受け取ってきた――。ごく簡単にいえば、国家イベントのスポンサー選定を巡る疑惑
 「(森下とは)法的な立場の違いこそあるが、東京五輪でスポンサー企業の選定を巡り、顧問契約をしてコンサルタント料を得ていた大会組織委員会元理事の高橋治之は、収賄の罪に問われた。しつこいようだが、森下の顧問先企業のサイエンスが万博のスポンサー企業となっている状況と瓜二つなのだ」(「週刊現代」令和5年2月11・18日号)
 と両者の構図そのものに疑問を呈している。
 大手メディアもこの疑惑を徹底追及すべきだ。

安倍の大罪

 何にせよ、安倍の残滓と評すべきアベ友が今なお幅を利かせ、国家的なプロジェクト等に食い込んで甘い汁を吸おうと企んでいる異常事態は看過できない。
 「オトモダチ優遇」の政治・行政を定着させ、そのことに大半の国民はおろか権力監視の役割を担うメディアすらも違和感を覚えなくさせるほど日本の統治機構を徹底的に破壊し尽くした安倍の罪は計り知れない。(天皷)

「第2自民党」を公言する「日本維新の会」の実態

世相閻魔帳82「顕正新聞」令和5年8月25日号

 自民党に対する不信感・嫌悪感から「日本維新の会」(代表は馬場伸幸)が各地で躍進を遂げているようだ。
 しかし本コラムでも何回か指摘したとおり、所詮、維新は自民党と同根であり、その補完勢力に過ぎない。このことは堺市議時代、長らく自民党に所属していた馬場の「(維新は)第2自民党でいい」(本年7月23日、ABEMA的ニュースショー)との発言からも明らかだ。
 ちなみに「週刊文春」(本年8月10日号及び同月17・24日夏の特大号)は、馬場のパワハラ疑惑や維新議員らのお粗末さ、さらには馬場の〝社会福祉法人(資産約15億円)乗っ取り疑惑〟について詳報。
 議員会館で怪しげな宗教儀式を信者仲間と行っていた衆院議員、同じく議員会館マルチ商法セミナーを実施していた衆院議員、SNSで自身の下着姿の写真を販売していた市議の存在には言葉を失ったが、馬場に関する疑惑は今後大きな問題に発展する可能性がある。
 今回は、自民党の補完勢力であることを隠しながら「身を切る改革」だの「既得権益の打破」などと「やってる感」を演出しているだけの自称「改革政党」の維新が、単に無能でお粗末な政治屋集団であることを簡単に述べたい。

ペテン師・橋下が設立

 そもそも自民党大阪府議だった松井一郎らを取り込んで「大阪維新の会」と「日本維新の会」を設立し、それらの初代代表を務めたのはペテン師の橋下徹(弁護士・政治評論家)だ。
 自身のペテン性をよくよく認識している橋下は、著書の中でそれを恥じ入ることもなくアピールしているから唖然とする。
 「私は、交渉の過程で〝うそ〟も含めた言い訳が必要になる場合もあると考えている。自身のミスから窮地に陥ってしまった状況では特にそうだ」「たとえ話で論理をすり替え、相手を錯覚させる!」(「図説 心理戦で絶対負けない交渉術」)
 「政治家を志すっちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰だよ。……自分の権力欲、名誉欲を達成する手段として、嫌々国民のため、お国のために奉仕しなければならないわけよ」「ウソをつけない奴は政治家と弁護士にはなれないよ!」「ウソをつかない奴は人間じゃねえよ」(「まっとう勝負!」)等々。
 かような輩をテレビ番組に出演させるメディアの見識を疑わざるを得ない。

口利きビジネス?

 余談だが橋下は、本年4月に大阪市長を任期満了で退任して政界も引退した相棒の松井一郎とともに、「株式会社松井橋下アソシエイツ」なるコンサル会社を同月末に設立していた。
 ところが同社のホームページには、二人の経験とノウハウを活かして〝口利きビジネス〟を行うかのごとき宣伝文句が堂々と記載されていたためにたちまち批判が殺到。橋下は「アホくさ」とボヤき、直ちにホームページを閉鎖した。
 立憲民主党・代表の泉健太から「まさか口利きというものではないと思いたい」「政治番組のコメンテーターはやめるべき」などと指摘された橋下はSNS上で怒りのつぶやきを連投した挙句、泉が国会議員を辞めるべきか、それとも橋下が政治番組のコメンテーターを辞めるべきかアンケートを自ら実施した。
 しかしその結果は「辞めるべきは橋下」が60.2%で敗北。地団駄を踏んだ橋下はもう一度同じアンケートを実施するも、またも69.9%で自滅するという散々な結果と相なった。
 潔くアンケートの結果に従って政治番組のコメンテーターを辞めてもらいたい。

目も当てられないコロナ対策

 話を戻す。橋下のDNAが脈打つ維新もペテンまみれで、肝心の行政遂行能力は乏しい。
 現在「大阪維新の会」代表で「日本維新の会」共同代表でもある吉村洋文・大阪府知事は新型コロナ対策をめぐり、連日、在阪テレビに出演して「大阪モデル」だの「大阪ワクチン」だのと宣ってあたかも画期的な対策を講じているかのごとく振舞い、当時メディアもそんな吉村を持ち上げていた。
 しかし蓋を開けてみれば、大阪府は新型コロナの死者数は実数のみならず100万人当たりの割合も〝全国ワースト〟という惨状だった。多くの死者を出した責任など何処吹く風と、未だに府知事に居座る吉村の精神構造は理解に苦しむ。
 ちなみに吉村は令和3年8月、テレビ中継されていた記者会見で「うそみたいな本当の話」としてポビドンヨード入りうがい薬が「コロナに効くのではないかという研究結果が出た」と明言していたが、実際には「吉村知事『コロナに効く』から2年、うがい薬研究ひっそり終了…専門家『推奨できる結果なし』」(読売新聞オンライン令和4年12月25日)とのこと。大阪ワクチンなるものもとっくに開発を断念していた。
 大口を叩くだけで成果はゼロに等しい。「言うだけならタダ」と考えているのか知らないが、彼らの無責任な発言に翻弄される府民はたまったものではない。

万博もゴタゴタ

 松井と橋下が誘致した「大阪・関西万博」(令和7年開催)も御多分に洩れずゴタゴタだ。現在、万博は開催そのものが危ぶまれる事態に陥っている。
 時代遅れの感が否めない万博の目玉は、参加する国や地域が費用を負担して独自に建設するパビリオン(展示館)だが、現時点でパビリオンの建設申請手続きを済ませた国は約50か国のうち僅か1か国だけ。このペースでは開幕までにパビリオン建設が間に合わないと言われている。
 焦った万博協会側は政府に対し、パビリオン建設に関して残業規制の撤廃を求めたというが、労働災害が増えることは目に見えている。万博のスローガンは「いのち輝く未来社会のデザイン」だそうだが「過労死するまで働く暗黒社会のデザイン」の間違いではないのか。国威発揚どころか国威失墜しかねない。

膨れ上がる開催費用

 会場建設費は国、大阪府・市、経済界が三等分して負担するため、多額の税金が投入されるらしいが、すでに当初1250億円と見込んでいた建設費は令和2年末にその約1.5倍となる1850億円に引き上げられ、そこから更に増額する検討が先月末に始まった。見通しが甘すぎだ。
 ついに痺れを切らした経産省が乗りだし、今月2日、海外パビリオン建設を受注した国内建設会社を対象とし「万博貿易保険」なるものを創設することを発表。
 海外の発注元から建設代金が支払われない場合、株式会社日本貿易保険政府系金融機関)がその9割から全額をカバーするとのこと。要するに「最後は国民の税金で補填します」と言うことだ。
 松井と橋下が〝関西圏の経済活性化の起爆剤〟のごとく吹聴して誘致した万博は、もはや単なる〝金食い虫〟でしかなくなりつつある。
 本年4月に松井が任期満了であっさり政界を引退したのは、万博が大失敗したときの責任追及を回避するための〝早逃げ〟という側面もあろう。

松井の独断専行

 ちなみに万博の会場となる「夢洲」(大阪市此花区)は昭和52年以降、大阪市内で発生した廃棄物や工事に伴う掘削残土のほか、大阪港の浚渫土砂等を埋め立てて造った人工島だ。そのため地盤は極めて軟弱。平成30年には高潮で土地の一部が削り取られる被害も発生している。交通アクセスも悪い。
 ために夢洲は平成26年の立地調査の時点で万博の会場候補地から外されていたが、平成28年に松井が独断専行で夢洲を候補地に加え、会場に決定した。当時の報道や「2025年万博基本構想検討会議」の議事録には次の記載がある。
 「(万博の候補地に)府内6カ所が挙がったが、夢洲は含まれていなかった。しかし、松井氏は今年度に入り、夢洲も候補地に追加。今月21日には、東京都内で菅義偉官房長官と非公式に会談し、こうした方針を示したうえで誘致への協力を要請した」(平成28年5月23日付け産経ニュース)
 「夢洲は、要は知事の試案ということで、知事の思いということで、この場所でできないかということでお示しをした場所」(同年7月22日付け議事録)等々。

既得権益集団

 松井が夢洲固執する背景に、維新と夢洲の開発に意欲を示す建設会社等との癒着や利権構造が存在するとの疑いも一部で報じられている。万博会場のみならず大型のIR施設(カジノ)の誘致先も夢洲だ。
 なお松井は「IR、カジノには一切税金使いません」と宣言し、橋下や吉村も同様の発言をしていたが、最終的に夢洲の土壌汚染対策費用の約790億円は大阪市が公金で負担することになった。約790億円に含まれていない夢洲地盤沈下対策費用も大阪市が負担するという。
 カジノで経済発展という考え自体がトチ狂っているが、要はとにかく夢洲を開発する理由を作り、それでカネ儲けしようというのが彼らの狙いなのだろう。
 「既得権益の打破」を掲げる維新こそ「既得権益集団」と言わねばなるまい。
 七月度総幹部会で先生は「今の政治を見てごらんなさい。国を真に憂える政治家はいない。彼らが求めるものは、己れの名誉と利権だけではないか。だから平然と公私混同をする」と指導下さったが、腐敗堕落した日本の政治には暗澹とするばかりだ。(天皷)

迷走の末、上がり目なしの岸田政権

世相閻魔帳81「顕正新聞」令和5年8月15日号

 七月度総幹部会において浅井先生は
 「今の政治を見てごらんなさい。国を憂える政治家はいない。彼らが求めるものは、己れの名誉と利権だけではないか。だから平然と公私混同をする。いま政治家の世襲が問題視されているが、これは政治を家業と勘違いしているから起こるのである」
 と指導くだされたが、バカ息子の翔太郎を首相秘書官に任命するという公私混同の情実人事を行なった岸田文雄首相も例に漏れず、祖父と父親が衆院議員という世襲議員だ(翔太郎は本年5月27日に首相秘書官を更迭され、現在は岸田事務所の私設秘書になっているらしい)。
 迷走を続ける岸田政権の支持率は28%(毎日新聞)と低下しており、自民党の支持率も24%(毎日新聞)、28%(朝日新聞)、23.6%(時事通信)と軒並み落ち込んでいる。これまで内閣支持率が下がっても政党支持率は下がらなかったことから深刻な状況と言われている(いずれも7月中旬から下旬の調査)。
 岸田はお得意の「聞く力」なるものを発揮して苦しい生活を余儀なくされている国民の声を聞くわけでもなく、本年6月末頃から閣僚や与党幹部と寿司屋や日本料理店で会食を繰り返していた。この一事だけでも、岸田がどこを向いて政治を行なっているのかがよく分かる。
 しかも先月20日には「(支持率は)上がったり下がったりするものだ。いずれ上がる」などと放言する能天気ぶり。上がるのは「物価」と岸田政権に対する国民の「不満」と「怒り」だけと知るべきだ。
 そんな岸田が早急に対処すべき課題は、マイナカードを巡るトラブルだけではない。幾つか簡単に取り上げる。

原発処理水の海洋放出

 福島第一原発の事故処理で発生した放射性物質を含む自称「処理水」の海洋放出は大きな問題だ。
 昨年の参院選公示日、岸田は東北の復興重視をアピールするために福島市内で第一声を上げ、「私はその福島から自民党こそが、国民のみなさんの声をしっかり受けとめる国民政党であるということ……を国民のみなさんに伝えるため、ここに来させていただきました。……福島に対する思いは強く、これからも私たちは大事にしていきます。『東北の復興なくして、日本の再生なし』……この気持ちをしっかり持ちながら、努力を続けていきたい」などと述べていたが、福島県漁連の反対などお構いなしに処理水の海洋放出を強行する岸田の言葉がいかに心にもない口先だけのものかがよくわかる。
 岸田は今年の夏以降に処理水の海洋放出を実施するというが、この処理水には放射性物質トリチウムのほか、それ以上に危険なストロンチウム90、ヨウ素129、セシウム135等の放射性物質が残留していることが判明している。
 経産省の公式サイトでは「ALPS処理水とは……トリチウム以外の放射性物質を、安全基準を満たすまで浄化した水」「トリチウムについても安全基準を十分に満たすよう、処分する前に海水で大幅に薄めます。このため、環境や人体への影響は考えられません」と謳っているが詭弁である。薄めようが薄めまいが総量は変わらない。
 また処理水が安心・安全であるなら、なぜわざわざ総工費400億円もの巨費を投じて1キロ先の沖合まで海底トンネルを堀って放出する必要があるのか。この一事がすべてを物語っている。
 そんな岸田が最近「水戸黄門の印籠」のごとく振りかざしているのが、本年7月4日に国際原子力機関IAEA)が公表した、処理水の海洋放出について「放出に対する日本の取り組みは国際的な安全基準に合致」「計画しているとおりの管理された段階的な放出であれば、人や環境への放射線による影響は無視できる程度」などと記された報告書だが、これもペテンである。同報告書は海洋放出に「お墨付き」を与えたものではない。
 報告書の中で「処理水の放出は日本政府が決定することであり、この報告書はその方針を推奨するものでも承認するものでもない」と強調し、責任逃れを図っていることがその証左だ。

地元は海洋放出に反対

 そもそも経産省と東電は平成27年8月、福島県漁連に対し、処理水について「関係者の理解なしには、いかなる処分も行わない」との方針を示していたが、現在に至るまで「関係者の理解」は全く得られていない。
 本年6月、福島県漁連は処理水の海洋放出について「反対であることはいささかも変わらない」とする特別決議を「全会一致」で決議した。
 宮城県議会もIAEAの報告書が公表されたその日、海洋放出に反対し、地域の理解を得たうえで国が責任を持って対応するよう求める意見書を「全会一致」で可決している。
 NHKによると、県議会議長(自民党所属)は「海洋放出は絶対にしないでほしい」「国際機関が『安全』と認めても住民や漁業者からの不安は大きいので、十分な対策をするよう強く国に申し入れたい」などと述べ、宮城県漁業協同組合の組合長も「海の動植物やさまざまなものにどんな影響を及ぼすか、長期的であるほど不安に思っている」との懸念を示したという。
 岸田は、経産省福島県漁連に示した方針・約束を反故にして、地元の反対を全て聞き流して海洋放出を強行するだろう。
 これ、岸田政権がいかに無責任で信用に値しない政権であるのかを示すものである。

統一教会問題

 岸田が対処すべき課題の中で等閑にしてはならないのが、反社会的邪教集団「統一教会」の問題だ。
 政府は統一教会の解散命令請求の可否を検討すべく、宗教法人法に基づく「報告徴収・質問権」を既に6回行使したが、今なお解散命令請求に踏み切っていない。恐らく最初から解散命令請求をするつもりなどサラサラなく、世論を抑えるために「やってる感」だけを出してアピールしていたのであろう。実に姑息だ。
 ちなみに本年6月28日、安倍晋三が生前「敬意」を表していた統一教会の総裁・韓鶴子(教祖・文鮮明の妻)は信者の前で次のように発言したと報じられている。
 「日本は特に第二次世界大戦の戦犯国だということ。原罪の国なのよ。ならば賠償すべきでしょう、被害を与えた国に
 「政治家たち、岸田を、ここに呼びつけて、教育を受けさせなさい。分かってるわね
 「私を独生女(救世主)だと理解できない罪は許さないと言ったのに、その道に向かっている日本の政治はどうなると思う?(信者「滅びます」)滅びるしかないわよね」と。
 統一教会は「霊感商法」や「合同結婚式」等の反社会的行為で日本を食い物にし(霊感商法等の被害額は令和3年までに1237億円、実際にはこの10倍以上とも言われている)、日本に向けてミサイル発射を繰り返す北朝鮮とも繋がりを有し、今なお反日思想を露骨に標榜する反社会的邪教集団だ。
 かかる邪悪な集団をのさばらせている岸田はそれに与しているとの謗りを免れない。

岸田はやる気ゼロ

 そのことは、岸田が統一教会と深い繋がりを持つ国会議員を重用していることからも明らかだ。
 昨年8月31日、自民党が役員会にて統一教会と「一切関係を持たない」との基本方針を決定した際、岸田は「所属国会議員は過去を真摯に反省し、しがらみを捨て、当該団体との関係を断つ」と明言したが、本年6月末には山際大志郎・前経済再生担当相を神奈川18区の支部長に据え、次の衆院選の公認候補に充てたのだ。
 山際と言えば、統一教会総裁の韓鶴子とともに写真撮影するほど統一教会とズブズブであることがバレて昨年10月に大臣を辞任し、それ以降一度も会見を開くことなく逃げ続けている輩だ。そんな男が過去を真摯に反省し、しがらみを捨て、統一教会との関係を断ったとは到底思えない。
 ちなみに、山際は日ごろ岸田が世話になっている麻生太郎自民党副総裁の派閥に属しているほか、山際と同じく統一教会とズブズブで、過去に「私もご父母様(文鮮明韓鶴子)の願いを果たせるように頑張るから、皆さんも一緒に頑張りましょう」「一緒に日本を神様の国にしましょう」と訴えていた萩生田光一自民党政調会長のお気に入りでもある(山際が大臣辞任直後、萩生田は同人を自民党の新型コロナウィルス等感染症対策本部長に抜擢した)。
 要するに、岸田は麻生や萩生田といった党内実力者に配慮し、山際を再び公認候補に充てたとしか思えない。岸田の頭の中には、政権維持と己の保身しか無いのだろう。

異次元のポチぶり

 その他、岸田の任命責任に発展しかねない「週刊文春」が報じている官房副長官の木原とその妻に関する疑惑をはじめ、岸田の目の前に山積する課題は多い。マイナカードを巡るトラブルも全く以て収束しそうにない。
 そもそも国を憂える気持ちも確固たる信念も政策も無く、頭の中は「己の政治基盤維持」だけで、それゆえアメリカのバイデン大統領や党内実力者、財界の声しか聞かず、国民の声は実に見事に聞き流す岸田に、これらの課題を真っ当に対処することは不可能だ。
 余談だがバイデン大統領は本年6月19日と20日、岸田が昨年12月にドヤ顔で行った「日本の防衛政策の大転換」の舞台裏を唐突に暴露した。
 「私は日本の韓国に対する姿勢や防衛予算、そしてヨーロッパでの関与を変えようとしてきた。今まで起こらなかったことが実現した」(19日)
 「日本は長い間、防衛予算を増やしてこなかったが、私は広島を含めて3回、日本の指導者と会った。私は彼を説得し、彼自身も何か違うことをしなければならないと考えた。日本は防衛予算を飛躍的に増やした」(20日)と。
 国の最重要事項すらも唯々諾々とアメリカの言いなりになる岸田の「異次元のポチぶり」には呆れる他ない。(天皷)