世相閻魔帳

顕正新聞のコラム「世相閻魔帳」

「信平狂言事件」と「捏造音声事件」に見る大草一党の異常性

世相閻魔帳㊴「顕正新聞」令和4年6月5日号

 前号の本コラムに続き、今号も「信平狂言事件」を取り上げる。
 改めて述べるまでもないが、これは〝池田大作に3回も強姦された〟という「信平信子」という元学会幹部の〝大ウソ〟をもとに、信平夫妻、阿部日顕直属の謀略部隊「妙観講」講頭の大草一男とその一党、当時「週刊新潮」の記者だった門脇護(現在は「門田隆将」と名乗る輩)らが連携して池田を徹底的に叩き、ついには信平が池田の提訴に踏み切って世間を大いに騒がせた「狂言事件」である。
 だがお粗末なことに、信平のウソは調査すれば誰でも簡単にウソと分かるようなシロモノだったため、信平はウソにウソを重ねてどんどん窮地に追い込まれた。以下、その具体例を示す。

信平のお粗末なウソ

 例えば、信平は〝昭和58年8月、私がひとりで函館研修道場内のプレハブ建ての喫茶「ロアール」の掃除をしていた時、池田から強姦された〟などと主張していた。
 しかし、信平が事件現場として主張した「ロアール」は、昭和58年当時に存在しない建物だった。同建物は昭和57年6月中旬に学会が行事のために臨時に設置したもので、同月下旬には撤去されていたのだ。
 学会がこの事実を暴くと、信平は〝撤去されたのは「ロアール」の北側に存在したプレハブ建ての「休憩所」。学会は「休憩所」の撤去を「ロアール」の撤去とすり替えている。プレハブ建ての喫茶「ロアール」は存在した。そこが事件現場だ〟と強弁した。
 だが、林野庁が撮影した当時の航空写真で現場を確認したところ、プレハブ建ての建物はどこにも写っていなかった。これにより、信平が事件現場と主張した「ロアール」が当時存在しなかったことが確定し、判決も「昭和五八年八月に、原告が主張する場所に『ロアール』が存在していたことを認めることはできない」と認定した。
 また、信平は当初〝平成3年8月16日の朝7時半頃、函館研修道場の一角で朝靄の中を歩いていたら池田に襲われた〟と主張していた。
 しかし、学会から反論されると、被害に遭った日付を〝16日から18日の間〟と3日間も幅をもたせて誤魔化した。
 しかも呆れたことに、信平の代理人は池田から強姦されたときの様子を恥じらいもなく克明に描写しているのだ。誰が書いたか知らないが、それは官能小説の読み過ぎではないかと心配してしまうほどリアリティに富んだものだった。そして暴行を受けたことを信用させるためか、「信子は、右加害行為により、額が大きく腫れ上がる等の傷害を負った」などとまことしやかに主張した。
 しかし、信平の涙ぐましい小細工は功を奏さなかった。判決は「信子は、八月一九日、函館平和会館二階広間において、被告(池田)が出席した記念勤行会に出席し、最前列に座り、話をする被告に対して満面の笑みを浮かべているほか、被告に相伴してほほ笑みながら万歳も行った」、「八月一六日ないし一九日に撮影された各写真に写っている信子の顔には、額が大きく腫れ上がる等の傷害は見受けられないばかりでなく、原告(信子の夫)が主張するような被害に遭ったとは到底思われないにこやかな笑顔を示しているものが少なくない」、「平成三年の事件についての事実的根拠は極めて乏しい」などと信平の主張の〝虚構性〟を認定し、信平のウソを粉砕した。
 さらに判決は、「(信平の主張は)それ自体、事実的根拠を欠くことをうかがわせるものであるばかりでなく、訴訟当事者として、到底真摯な訴訟追行態度と評価することはできない」、「真に被害救済を求める者の訴訟追行態度としては極めて不自然であり、およそ信義則にかなうものとはいえないことは明らか」、「このまま本件の審理を続けることは……原告の不当な企てに裁判所が加担する結果になりかねない」などと厳しく糾弾している。
 加えて、裁判所は信平のウソに付き合わされてホトホト嫌気がさしたようで、「原告ら(信平夫妻)が被告(池田)及び創価学会に対して強烈な憎悪の感情を有していたとしても、何故にそこまでするのかについては、健全な社会常識からすると若干の疑問が残らないわけではないが、原告らの個性、人柄に由来するところが大きいとみるほかない」と信平の人間性にすら疑問を呈している。

信平と一体の「慧妙」

 さて、〝社会常識を大きく逸脱した異常人格者〟と裁判所から烙印を押されたに等しい信平の狂言を、さも真実のように大々的に報じ続けたのが、大草が編集・発行に関与している宗門謀略紙「慧妙」だ。「慧妙」に掲載された大本営発表を幾つか紹介する。
 「『池田大作はケダモノです、鬼畜です!』強姦事件の被害者元・北海道婦人部最高幹部が詳細を告白」(平成8年3月1日号)、「強姦魔・池田大作の素顔」(同月16日号)、「『強姦事件』で追い詰められる池田大作」(同年7月16日号)、「池田の強姦事件揉み消しに躍起の学会」(同年9月1日)、「『強姦訴訟』で完全逃げ腰の池田大作」(同年10月16日号)、「窮地に立たされた池田大作!」「これでは『強姦』を認めているも同然!」(平成9年3月16日号)、「池田の負けが見えてきたレイプ裁判」(同年10月1日号)、「池田まっ青!まだまだ続く〝レイプ裁判〟!」(同年12月1日号)等々。
 このようなえげつない見出しを延々と掲載できる新聞は恐らく日本には他に存在しないと思われる。その〝下劣さ〟〝醜悪さ〟〝虚言性〟には吐き気すら覚える。
 大草一党にしてみれば、たとえ無理筋な訴訟で信平に勝ち目などなかろうと、或いは虚偽の主張だろうと、敵対勢力を叩くことさえ出来れば〝何でもあり〟なのだろう。
 余談だが平成8年3月、信平夫妻は妙観講支区幹事の佐貫修一が事務局長を務めた妙観講のダミー団体「創価学会による被害者の会」の全国大会に参加・登壇し、「御法主日顕上人猊下様のもとに、清らかな信仰を貫き、最後まで池田創価学会と法廷の場にて闘っていく決意でございます」と決意表明を行った。ダミー団体の設立・運営も、そこでの信平の配役も、すべて大草の指揮監修に基づくものと思われる。

捏造音声事件での醜態

 そもそも〝ウソがバレたら新たなウソをこしらえる〟信平狂言事件の異常性は、「カエリタマエ」の捏造音声事件で大草一党が見せたそれと極めて酷似している。
 すなわち、「慧妙」令和元年7月1日号は、浅井先生が突然先生宅を訪問した女性妙観講員3名に対して「インターホンから『帰りたまえっ!』との声を浴びせた」という大ウソを掲載し、後日「慧妙」公式サイトに「カエリタマエ」の捏造音声を公開した。
 だが、この捏造音声について顕正会側が音声分析の権威である鈴木松美氏に鑑定を依頼し、「本件音声は、浅井昭𫟘氏が録音当日にインターホン越しに発した音声ではなく、事後的に合成されたものである」との鑑定意見が示されると、追い詰められた「慧妙」は〝インターホン越しの音声ではなかったが、もしかしたら邸宅内から発せられた音声かもしれない〟などと突然主張を変遷させた。
 その後、顕正会等を被告として提訴したものの、原告である大草一男と妙観講の全面敗訴となったこの捏造音声を巡る裁判において、大草らは「代理人弁護士」である大草貞嗣(大草一男の息子)に令和2年4月28日付け「第1準備書面」を法廷で陳述させたが、その内容は「結果的に本件音声はインターホン越しでないということがわかった」、「本件音声の音響分析をすれば、すぐにインターホン越しの音声ではないと判明する」というものだった。
 要するに、大草は「慧妙」令和元年7月1日号の記事が〝大ウソでした〟と法廷で白状した挙句、開き直って〝記事が大ウソということは調べればすぐに判明する〟と法廷で放言したわけだ。全く以て理解に苦しむ精神構造の持ち主と評する以外にない。
 ちなみに先日、妙観講・理事の佐々木寛司は哀れにもかかる事実を知らず、〝大草講頭が法廷で「あのカエリタマエの音声はインターホンからの声ではない」と白状した証拠があったら妙観講を脱講する〟と大見栄を切って脱講が確定してしまった。
 すると、大草一党は「慧妙」令和4年5月16日号で佐々木の脱講を遁れさせるため、「(大草の代理人弁護士が法廷で陳述した)準備書面の中にそう書いてあったとしても、それは『カエリタマエ』という声がインターホン越しの音声ではなかったという『証拠』にはならない」とまたもや前言を翻し、再度〝「カエリタマエ」はインターホン越しの音声だった〟という趣旨の主張をし始めた。
 たとえ平仄が合わなくてもお構いなしに、その場しのぎのウソをポンポン吐いて主張を変遷させる無節操ぶりには頭がクラクラしてくる。
 いずれにせよ、「提婆・倶伽利」の生まれ変わりのような大草一党のたばかりも、すでに虚しい。報恩抄に云く「糞を集めて栴檀となせども、焼く時は但だ糞の香なり。大妄語を集めて仏と号すとも、但だ無間大城なり」と。
 所詮、大草一党のたばかりなどは悪臭を芬々と放つ〝糞〟でしかない。(天皷)