世相閻魔帳

顕正新聞のコラム「世相閻魔帳」

プーチンに手玉に取られた安倍の愚

世相閻魔帳71「顕正新聞」令和5年5月5日号 

 本年3月21日、岸田文雄首相はウクライナを訪問してゼレンスキー大統領と会談した。
 従前から「欲しいのは武器」と語っていたゼレンスキーに対し、岸田は「敵を召し取る」(飯とる)との意味が込められた地元広島の名産品「必勝しゃもじ」(「必勝」と書かれたしゃもじ)を贈呈して〝失笑〟を買ったようだが、その能天気ぶりと外交センスの無さにはほとほと呆れる。
 無理もない。岸田が外交の手本としているのは、首相在任中にロシアのプーチン大統領に手玉に取られ、日本固有の領土である北方領土と巨額のカネを分捕られる大失態を犯した安倍晋三だからだ。
 今回は「安倍晋三回顧録」に記載された北方領土交渉を紹介しながら安倍の屈辱的な対露外交を振り返りたい。

プーチンに媚び諂う

 安倍は回顧録で大失敗に終わった北方領土交渉の方針について「北方4島に住んでいるロシア人に『ここは日本の領土だから、今すぐ出て行け』とは言えない」「一緒に経済活動を行い、日本はいいね、と思ってもらわなければ、領土交渉への理解が得られるはずがない」「本気で領土の返還を実現しようとするならば、まずは向こうが関心を示す案を示さなければいけない」などと語っている。
 要するに、弱腰な安倍は〝プーチンにカネを献上して「日本はいいね」と思ってもらえれば、北方領土を返還してもらえる〟という大甘な見通しを立てていたのだ。
 安倍はさながら〝餌を欲しがる飼い犬〟のごとくプーチンに尻尾を振り、同人と27回も会談したことが自慢だった。
 平成26年にロシアのソチで開催された冬季五輪では、ロシアの人権問題を非難してアメリカをはじめ欧米各国が開会式参加を見送る中、安倍は中国の習近平国家主席などロシアに近しい国々の首脳とともに開会式に参加し、世界から白い目で見られた。
 このことについて安倍は回顧録で「各国がボイコットする中、これはチャンスだと思って私はソチ五輪の開会式に出席し、日露首脳会談を行いました」と語っているから呆れる他ない。
 冬季五輪閉幕後、プーチンは直ちにウクライナに侵攻して南部のクリミア半島を強制的に併合した。

ロシアに大金を〝献上〟

 これを受けて世界各国はロシアに厳しい経済制裁を科した。日本もそれに追従する形でロシアに経済制裁を科したものの、その内容はG7で最も緩かった。
 しかも安倍は平成28年に再びソチに行ってプーチンと会談し、当時ロシアに申しわけ程度の「経済制裁」を科していた日本が、そのロシアに巨額の「経済支援」をするというチグハグな提案をし、経済制裁に苦しめられていたプーチンから「高い評価と賛意」を受けた。
 当時のことを安倍は回顧録で「オバマ米大統領には、私がソチに行くことには反対されました……2014年のウクライナ・クリミア併合以来、日本は欧米とともに対露制裁を行っていましたから、その足並みが乱れることを警戒したのでしょう」「オバマは怒ったらしく、米国の外交当局からも反対されました。ソチ訪問は、米国の意向を振り切る形で行きました」と振り返っている。
 オバマもまさか同盟国である日本のリーダーが己の政治的実績作りのために世界的な対露制裁の足並みを乱し、果ては制裁対象国のロシアに巨額の経済支援を約束するほどのバカだったことには衝撃を受けたに違いない。
 その後、安倍はロシアに対し「北方領土共同開発」の名目で、なぜかロシア人の健康増進を図る「肥満予防医療プログラム」等を含めた約3000億円もの経済支援を約束した。

屈辱的な大失態

 しかし、そもそもプーチンには北方領土返還の意思が全く無く、それについて安倍と交渉する意思も全く無かった。
 平成28年12月、安倍は「プーチン大統領と胸襟を開いて議論したい」と意気込んでプーチンを地元山口県長門市に招待したが、プーチンは約3時間も遅刻。安倍は「忠犬ハチ公」のごとくプーチンを待ち続けた。
 翌日、安倍は首相官邸プーチンの歓迎行事(ロシア国歌の演奏等)を行った後、昼食をとりながら首脳会談を行うことを予定していた。
 しかしプーチンは歓迎行事でのロシア国歌演奏を拒絶。しかも再び大幅に遅刻をしたため、結局、歓迎行事には参加せず、安倍との首脳会談も取りやめとなった。ここまで安倍は舐められていたのである。
 平成30年9月、プーチン習近平をはじめ各国の首脳やマスコミが居並ぶ公の場で安倍に対し「一切の前提条件を抜きにして年末までに平和条約を結ぼう」と言い放った。
 この発言は日本とロシアの交渉の前提(平和条約は北方四島の領土問題を解決してから)を覆し、日本が戦後にロシアと積み重ねてきた交渉の全てを御破算にするものであるから、これにはさすがの安倍もすぐさま反論すると思われた。
 ところが、である。あろうことか安倍は当惑したような薄ら笑いを浮かべただけで、公の場で日本を蔑んだ発言をしたプーチンに全く反論しなかったのだ。一国の総理大臣としてあまりに無責任、あまりに屈辱的な大失態という他ない。

四島から二島返還に

 回顧録で安倍は「彼(プーチン)の意図を計りかねて、フォーラムを中座した時、プーチンに『日本の立場は、4島の帰属問題を解決するわけだから、呑めません』と話したのです」などと必死に取り繕っているが、俄かに信じがたい。
 なぜならプーチンのこの発言以降、安倍はそれに沿うように「北方領土返還要求全国大会」の挨拶で毎年用いられていた「北方四島の帰属の問題を解決して、平和条約を締結する」との表現を除外するなどプーチンに忖度していたからだ。
 しかも安倍は同年11月、ロシアに対し北方領土の四島全てではなく、歯舞諸島色丹島の二島(合計面積は北方領土全体の僅か7%)だけの返還を求めるという、それまでの「政府の基本的立場」を勝手に変更する最低最悪の判断をした。
 かかる方針変更により、昭和31年の日ソ共同宣言以降、日本が四島返還を求めて粘り強く地道に積み重ねてきたロシアとの北方領土返還交渉は全て無に帰した。

赤面もののポエム

 迷走に拍車が掛かった安倍は令和元年9月5日、冷酷非道なプーチンの心を揺さぶることで二島返還を実現しようとしたのか、公衆の面前で赤面もののポエムを披露してみせた。
 「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている。行きましょう。ロシアの若人のために。そして、日本の未来を担う人々のために。ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか」と。
 旧ソ連の情報機関・秘密警察であるKGB出身のプーチンにしてみれば、安倍がお花畑で蝶々を追っている子供に見えたに違いない。
 この不出来なポエムを聞いたプーチンは、その翌日に「(北方領土第二次世界大戦で)スターリンがすべてを手に入れた。議論は終わりだ」と一方的に宣言して安倍に現実を突きつけた。
 その翌年にはロシア憲法を改正して領土割譲の禁止条項を新設し、〝北方領土は絶対に返還せず、今後一切日本との交渉にも応じない〟と決定した。
 かくして日本はプーチンに佞媚で無能な安倍のおかげで、約3000億円もの巨額なカネを献上したのも虚しく北方領土(四島全て)を完全に分捕られ、将来に返還される可能性もほぼゼロとなってしまったのだ。
 しかるに愚劣な安倍はかかる大失態を一切反省しないどころか、回顧録では〝ロシア国内で反対運動が起きてプーチンが二島返還に弱腰になった〟等のウソで正当化を図り、ついには尖閣諸島にこと寄せて「(領土は)いったん占領されたら、いくら交渉したって返還は難しくなりますから」としゃあしゃあと開き直っているから開いた口が塞がらない。ここまで無責任な総理大臣は、日本の歴史上かつて存在しなかっただろう。

売国奴の安倍

 そもそも北方領土が日本固有の領土であることは1855年の日露通好条約で確定している。
 しかし昭和20年の敗戦直前、ソ連(ロシアの前身)の首相スターリンは日本の敗北を見越して日ソ不可侵条約を無視し、突如、満州樺太・千島に攻め込み、終戦13日後に北方領土を略奪した。このソ連による不法占拠が今に至るまで続いているのだ。
 ゆえに安倍は仮にも日本の首相であれば、日本の領土を不法に占拠し続けているロシアに対し、歴史の真実と正しい道理に基づいて堂々と日本の立場を表明し、強気の姿勢で交渉に臨まなければならなかった。
 浅井先生は次のように指導である。
 「ソ連国際法を無視して、武装解除して捕虜にした日本軍の兵士約70万人を、貨物列車でシベリアの奥地に運び、奴隷のように酷使した。かくて極寒と飢えと病気により、10万人が死亡した。日本のふるさとを瞼に浮かべながら、10万人が無念の死を遂げたのである。
 安倍首相には、この鬼哭啾啾の声が聞こえないのか。
 このような非道・暴虐が許されていいはずがない。安倍首相はなぜ毅然とこの事実をプーチンに伝え、道理を世界に向けて発信しないのか」と。
 日本人信者から吸い上げたカネを北朝鮮に提供していた反日カルト・反社会的邪教集団の「統一教会」の総裁に敬意を表するにとどまらず、日本固有の領土と巨額のカネを自ら進んで侵略国家の首魁に献上した安倍晋三は「売国奴」以外の何者でもない。(天皷)