世相閻魔帳

顕正新聞のコラム「世相閻魔帳」

亡国の政治家・安倍晋三の神格化という異常

世相閻魔帳80「顕正新聞」令和5年8月5日号

 亡国の政治家・安倍晋三が白昼堂々と銃撃され横死してから一年が経過した。
 この間、岸田文雄首相が安倍の「国葬」を強行したり、安倍の御用メディアや元側近が「安倍晋三回顧録」なるプロパガンダ本を出版したりしたが、その目的はいずれも安倍の悪政を隠蔽・虚飾・改ざんして美化することにあろう。
 しかし安倍シンパがそのような小細工を懸命に弄したところで、お友達のレイプ犯を不起訴処分にできる程に警察権力等を手懐け、また権力監視を使命とするメディアに異常な圧力をかけて骨抜きにさせた安倍が、日本の統治制度、経済・財政・金融を破壊し、日本の亡国を決定づけたことは厳然たる事実だ。
 安倍は「政治家失格」、否「人間失格」と評する以外にない。
 現在、欧米の中央銀行がインフレ抑制のために果敢に利上げを行う中、日本だけがマイナス金利政策を変更しない(正確には〝できない〟)ゆえに円安が進んで物価高となっているが、市井の人々の生活苦はアベノミクスによる弊害だ。
 しかるに後述するとおり、安倍の死後、安倍をバックアップして憲法改正を成し遂げて「神国日本」の実現を目論んでいた日本最大の極右団体「日本会議」やその界隈では、安倍を神格化せんと蠢動しているから唖然とする。
 かかる目論見がいかにバカげているか、愚蒙なアベ信者でも理解できるよう簡単に安倍の悪行等を振り返る。

統一教会総裁を絶賛

 そもそも安倍が殺害されたのは、安倍が「日本はすべての物資を収拾して本然(自然)の夫であるアダム国家・韓国に捧げなければならない」との妄説を吐く反日・侮日思想の文鮮明が韓国で立ち上げた反社会的邪教集団「統一教会」(現・世界平和統一家庭連合)と祖父の代から密接な繋がりを有し、互いに利用し合う関係にあったからだ(詳細は「顕正新聞」令和4年9月5日号掲載の本コラムを参照)。
 安倍は令和3年9月12日、統一教会のダミー団体(UPF)が韓国で開催した集会にビデオメッセージを寄せ、「今日に至るまでUPFと共に世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁を始め皆様に敬意を表します」などとへつらい、韓鶴子文鮮明の妻)を絶賛した。
 統一教会に家庭を崩壊させられた山上徹也容疑者はかかる事実を知り、「(安倍は)絶対に殺さなければいけない」との思いに至り銃撃を実行したと言われている。
 言わずもがな、未だ政界に大きな影響力を有していた元首相の安倍が日本を食い物にする反社会的邪教集団の総裁に敬意を表することは、その反社会的行為に〝お墨付き〟を与えると同時に、〝統一教会は日本の元首相が敬意を表するほど素晴らしい団体〟と信者を誤信させ、統一教会が信者からカネを毟り取りやすくする極めて悪質な所為であり、断じて許されない。

拉致問題を巧みに利用

 しかも統一教会は日本人から収奪したカネを、無辜の日本人を拉致して本人とその家族を絶望の淵に落とし、現在も日本に向けてミサイルの発射を繰り返す犯罪国家・北朝鮮に送金していた。安倍がこのことを知らなかったとは考え難い。
 安倍は「拉致問題安倍内閣の最重要課題」などと嘯き、北朝鮮による拉致問題に取り組んでいるかのようなパフォーマンスを演じていたが、真に拉致問題を解決する意思が安倍にあったならば、北朝鮮とただならぬ関係にある統一教会と昵懇になったり、総裁の韓鶴子に敬意を表したりするはずがない。
 かく見れば、元拉致被害者家族連絡会事務局長の蓮池透氏が著書「拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々」の中で、「拉致問題を最も巧みに利用した国会議員は、やはり安倍晋三氏だと思っている。拉致問題を梃にして総理大臣にまで上り詰めた」などと辛辣に記載していることにも合点がいく。
 結局のところ、安倍は己の人気取りのために、身を引き裂かれる思いで拉致問題に取り組んでいる被害者家族等を利用していただけ。何とも冷酷非道な輩だ。

森友事件・桜問題

 安倍の冷酷非道さが最も際立ったのが「森友事件」だ。
 安倍が国会で「私や妻が、もし小学校の設立や国有地払い下げに関与していたら、総理大臣はもとより国会議員も辞任する」と答弁した直後より、財務省で公文書の改ざんが行われ、安倍と妻の昭恵、そして日本会議に関する記述等が悉く削除された。
 そして不憫にも、この改ざん作業を強いられた近畿財務局の赤木俊夫氏は自責の念に耐えかねて自殺してしまった。
 だが安倍は悔やみの一言を述べるでもなく、回顧録の中で「正直、改竄せずにそのまま決裁文書を公表してくれれば、妻が値引きに関わっていなかったことは明らかだし、私もあらぬ疑いをかけられずに済んだ」「私は密かに疑っているのですが、森友学園の国有地売却問題は、私の足を掬うための財務省の策略の可能性がゼロではない」などといけしゃあしゃあと捲し立てる有様だ。
 「桜を見る会」の前夜祭問題でも、安倍は〝秘書が勝手に事務所のカネで補てんした〟などとウソをつき、公設第一秘書の配川博之に全責任を擦り付けた(配川は政治資金規正法違反〈不記載〉の罪で略式起訴され、罰金100万円を命じられた)。これほどゲスな人間はそうそういないだろう。

アベ政治は大失敗

 その他、安倍政権の政策の一丁目一番地たる「アベノミクス」は大失敗に終わり、すでに日本の財政破綻は不可避となってしまった。
 「北方領土問題」においても、功名心に駆られた安倍はロシアのプーチン大統領に媚びて約3000億円の経済支援を約束し、「君と僕は、同じ未来を見ている」などと気色悪いポエムまで披露するも虚しく、最終的にはプーチン北方領土を完全に分捕られ、将来返還される可能性をほぼゼロにしてしまった。
 ところが安倍はかかる大失態を微塵も反省せず、回顧録の中では尖閣諸島に事寄せて「(領土は)いったん占領されたら、いくら交渉したって返還は難しくなりますから」とヌケヌケと述べている。

「神国日本」を画策

 何より「神国日本」を画策したことは仏法上の重大な失だ。
 日本国は全人類をお救い下さる御本仏日蓮大聖人が御出現あそばされた本国であり、本門の三大秘法広宣流布の根本の妙国である。しかるに安倍は「仏は主君、神は所従」を取り違えて、神を主と崇め、御本仏日蓮大聖人を無視・軽賎した。これが最大の悪政である。

安倍の神格化を目論む

 さて冒頭でも述べたが、日本最大の極右団体「日本会議」やその界隈においては、あろうことか安倍を「日本の神」として祀り上げようと画策している節がある。
 日本会議の機関誌「日本の息吹」(令和4年9・10月合併号)には吐き気を催すほど気持ち悪い次のような追悼文が多数掲載されている。参考までに引用する。
 「あなたはいま、私たちのゆく道を指し示す神様のような存在になられた気がいたします。これからの日本のため、どうかこれからも私たちに力と勇気をお与えください。いつの日か安倍晋三神社ができた折には必ずお参りさせていただきます
 「安倍晋三元総理の現身は幽身となりしも、その精神は消ゆることなく、我が国を護られ私共を力強く導かれるであろう
 「安倍氏御自身は肉体の束縛を解かれて高い清らかな世界に昇られて天翔けり国翔けり、日本を護ってくださっていると思います
 「今はただ、安倍元総理による天界からの日本国のご守護と私どもの改憲運動のお導きを願い、朝晩祈り続けている毎日である」等々。

櫻井よしこの妄言

 また日本会議の旗振り役で安倍と親密だった櫻井よしこも、令和5年7月6日に出版した著書「安倍晋三が生きた日本史」で次のように記している。
 「私には安倍総理が倭建命に重なって見える。安倍総理が取り戻そうとした本当の日本の姿は古事記の中に神々の物語として記されている。……日本国のために働き命を捧げた全ての人々はいま、日本という国の大きな生命と融合して、日本国の進む道を指し示す力となっている。安倍総理の命も想いもそのなかに入り、強い力で日本を導いて下さるだろう。日本国の生命ともなって、次の、そのまた次の世代へと受け継がれ、生き続けていく」と。
 もはやドン引きする他ないが、安倍政権にとって不都合な事実には一切触れず、奇矯で噴飯物の妄想・妄言を廉恥もなく公表できる櫻井は、「ジャーナリスト」よりも「オカルト作家」の肩書がピッタリだ。
 その他、安倍の国葬当日に「安倍晋三は日本の神となった!」「人としての安倍さんはおわり今日から日本を護る神として安倍晋三は生きる」などと投稿している輩もいた。俄に信じがたい話だが、こうした狂信的なアベ信者は少なくない。

現実を直視せよ

 まとめると、安倍は「日本はすべての物資を収拾して本然の夫であるアダム国家・韓国に捧げなければならない」との教義を掲げる統一教会の総裁に敬意を表する反日の輩であり、総理大臣に上り詰めるために「拉致問題」を利用し、自身の不用意な答弁によって自殺者が出ても悔やみの一言すら述べず、自らが負うべき刑事責任を平然と秘書に擦り付ける冷酷非道な輩であり、しかも日本の財政破綻を決定づけた挙句、日本の領土をロシアに〝献上〟するような国賊売国奴だ。
 ことに「仏は主君、神は所従」の道理を取り違えて、神を主と崇め、御本仏日蓮大聖人を無視・軽賎して「神国日本」を作らんとする仏法上の許されざる謗法まで安倍は犯した。
 かような輩を「日本の神」として神格化しようとするなど正気の沙汰ではない。それを目論む異常な輩どもに阿って、政権維持のために安倍の敷いた路線の上を忠実に走るだけの岸田首相も余りに情けない。
 暗愚なアベ信者たちは、安倍が売国奴国賊・冷酷非道な「亡国の政治家」であった現実を直視すべきである。(天皷)

マイナカードの強制取得が意味するもの

世相閻魔帳79「顕正新聞」令和5年7月25日号

 連日世間を騒がせているマイナンバーカード(以下「マイナカード」)をめぐる問題は、デジタル大臣・河野太郎の無責任で人を食ったような対応により収束の兆しが全く見えないどころか、第1次安倍政権が崩壊したきっかけの一つでもある「消えた年金記録問題」のように、岸田政権にとって致命傷になる可能性も出てきている。

普及に躍起な政府

 マイナカードとは、氏名・住所・生年月日・性別・本人の顔写真・臓器提供の意思表示、そして政府が日本国内の全住民に割り振った一生不変のマイナンバー(外部に漏洩しても原則として変更不可)が記載された身分証明書だ(作成は任意)。
 政府はマイナカードを普及させるために、平成28年から「コンビニで証明書(住民票等)の発行ができる」「保険証として利用できる」「スムーズに給付金を受け取ることができる」などと利点だけを強調し、1兆8千億円も費やして〝マイナカードを作成してマイナンバー・保険証・公金受取口座を登録したら2万円分のポイント付与〟という「エサ」を撒くなど躍起になっていた。
 しかし麻生太郎副総理兼財務相(当時)が「持ってるけど使ったことないんだよね。(使う機会は)ほとんどないはずだね。オレに言わせたら必要ねぇもん。何でやんだよ」「使う必要がないものにいくらカネかけてるか知ってます?……アホらしいんで聞いてられないんですよ」(令和元年9月3日の定例会見)と発言していたことを見ても、本来マイナカードは必要性ゼロの代物だ。
 ゆえに政府が巨費を投じてエサを撒いてもなお、昨年8月末時点でマイナカードの普及率(人口に対する交付枚数の率)は47.4%と半数以下だった。

任意から強制へ

 思いどおりにマイナカードが普及しないことに腹を立てたのか、河野太郎は昨年10月に突如、紙やプラスチックカードの従前の保険証を令和6年秋に廃止してマイナンバーに登録された保険証(マイナ保険証)に一本化すると宣言した(本年6月2日に関連法案成立)。
 これによりマイナカードの性質は「無くても困らない」から「無いと困る」に一変。マイナカードの作成を事実上強制したのだ(それでもマイナカードを作らない人は「資格確認書」を毎年申請して取得しなければならず、しかも資格確認書の場合はマイナ保険証と比較して医療費が割高になるというフザケた話)。

問題が続出

 しかしマイナカードをめぐっては、マイナ保険証や公金受取口座に別人の情報が紐づけられていたり、マイナカードを使ってコンビニで証明書を申請したら別人のものが交付されたり、マイナカードを作ったことでもらえるはずのポイントが別人に付与されたりと、あり得ない問題や事件が続出している。
 ことに深刻な問題はマイナ保険証の別人登録だ。別人の医療情報が登録されていれば誤った薬が投与されるなど適切な治療を受けられない恐れがある。
 またマイナ保険証を使うためには4桁の暗証番号が必要となるため、暗証番号を忘れてしまった高齢者や認知症患者、意識を失っている患者には保険が適用されない可能性もある。
 紙やプラスチックカードの従前の保険証なら病院や介護施設の職員等に預けることができるが、マイナ保険証の場合はそれができない。仮に暗証番号を書いた紙を預けた場合、それを預かった人はマイナポータルに紐づけられた全ての個人情報にアクセスできてしまうため、犯罪に悪用されるリスクも生じる。
 その他、データ不備のためにマイナ保険証が「無効」扱いされてしまい、病院からいったん10割負担の費用を請求された事例もすでに多数発生している。
 河野太郎はこれら続出する問題を「ヒューマンエラー(人為的ミス)」などと嘯き、各自治体に「秋までに総点検しろ」とシレッと命じてみせたが、そもそもは〝令和6年秋に従前の保険証を廃止する〟と突如宣言し、現場を混乱させた河野の責任だ。この無責任男に振り回されて余計な業務を強いられる自治体職員にしてみれば堪ったものではない。

警察庁や外務省も危惧

 だいたい現在続出している問題を解消したところで、マイナカードそれ自体が孕んでいる危険性が解消されるわけではない。
 実は平成27年11月、情報管理に人一倍敏感な内閣官房警察庁公安調査庁・外務省・防衛省は連名で、マイナカードと国家公務員の身分証の一体化に反対する書面を政府に提出していた。
 警察庁等はマイナカードを身分証とする問題点を「紛失・盗難等により、職員の氏名、住所、年齢等を所属省庁とともに把握できる」とし、外国情報機関等が取得したり一般人がネットで拡散したりすると「職員やその関係者に対する危害・妨害の危険性が高まる」と指摘した。無論、かかる危険性は国家公務員に限られたものではない。
 しかも万が一4桁の暗証番号が他人に知られれば、氏名・住所・年齢だけでなく、それに紐づけされた機微な個人情報(世帯・税・健康・医療・子育て・福祉・介護・雇用・年金の情報の他、今後、銀行口座・運転免許証・学校の成績等ありとあらゆるものが紐づけられていく)が全て把握されてしまう。
 ちなみに「マイナポータル利用規約」には「利用者本人又は第三者が被った損害について、デジタル庁の故意又は重過失によるものである場合を除き、デジタル庁は責任を負わないものとします」(第26条)と定めてある。政府はいざという時の逃げ道だけはチャッカリ確保しているのだ。

世界の流れに逆行

 そもそも先進7か国(G7)の中で共通番号に様々な情報を紐づけ、その番号が記載されたカードの発行を事実上強制している国は日本だけだ。
 イギリスは平成18年に国民IDカード法を成立させたが、平成22年に人権侵害の恐れがあることなどを理由に廃止。ドイツは過去にナチスが共通番号によってユダヤ人らをあぶり出して虐殺したことの反省から、共通番号自体が存在しない。
 アメリカには一生変わらない社会保障番号なるものが存在し、それが印字されたカードも一応は存在するが、カードの発行は飽くまで任意であり、またカードには「DO
NOT CARRY IT WITH YOU」(持ち歩くな)と警告文が記載されている。ゆえに日本のマイナカードとは全く性質が異なるものと言えよう。
 かく見れば「日本はデジタル化において世界から後れをとっている」との理由で政府がマイナカードの普及を進めることはペテンでしかない。

巨大なマイナ利権

 なぜ政府は深刻な問題が噴出して底なしの様相を呈しているのに、意固地になって世界の動きに逆行する「マイナカードの普及」に躍起になるのか。考えられる理由は2つある。
 1つ目は「利権」だ。
 「マイナンバーの事業規模は約1兆円といわれている。トラブル続きのシステムを納入している富士通の子会社を筆頭に、多くの企業が事業に群がっている。マイナカードは定期的に更新され、そのたびに医療機関は1台50万円は下らない新しい読み取り機を導入することになる。全国に医療機関は約18万もある。この先、継続的に巨額の費用が必要になるのは必至で、巨大利権になるのは間違いない。もちろん、潤った企業から自民党議員に、献金やパーティー券といった形でキックバックされるのは政界の常識である」(「日刊ゲンダイ」本年7月8日)
 「(マイナカード関連事業を受注している)NTTデータにNEC、日立製作所富士通……自民党に2億4000万円を寄付しているこの4社は、総務省をはじめ関係省庁の閣僚が『回転ドア』をくぐって大量に天下りしている企業でもあるのです。(中略)平井卓也初代デジタル大臣の元職場である広告代理店・電通には、2万円のマイナポイントキャンペーンの事務費用から150億円の再委託費用、そしてCM製作費(初回24億円+49億7000万円=73億7000万円)が流れ込みます」(堤未果堤未果ショック・ドクトリン」)と。

全国民の保有資産の把握

 2つ目は「全国民の保有資産の把握」だ。
 身分証明書がマイナカード一本となれば、銀行口座の開設や不動産・株式等の売買の際にもマイナカードを提示することになる。これにより政府は全国民の保有資産を把握することができる。その目的は偏に、アベノミクスによって不可避となった国家破産に備えるためだろう。
 かねてより浅井先生はアベノミクスの異次元金融緩和が必ずハイパーインフレを招いて国家破産に至ること、またかかる非常事態を解決するには国家が徴税権を駆使して国民から重税を搾り取る以外にないこと、その実例としてかつて日本が敗戦の翌年に国家破産した時に政府が打った手を次のごとく指導下された。
 「『国家非常事態宣言』を宣言し、『財産税』の徴集を始めた。まず『預金封鎖』で資産を差し押さえ、『新円切り換え』によってタンス預金をすべてあぶり出し、財産税で国民の資産を根こそぎ召し上げた。保有資産額に応じて適用される累進税率は、最高税率がなんと90%という苛酷なもので、国民は塗炭の苦しみに陥った。
 このように、国家が財政破綻すれば、最終的には国民がその尻ぬぐいをさせられる。安倍晋三の約八年にわたる異次元金融緩和の尻ぬぐいをさせられる日も、まもなくと思われる。だがそのとき、政治家は一人も責任を取らないのである」と。
 あらかじめマイナンバーで全国民の保有資産を把握しておけば、いずれ国家破産に陥った時に速やかに「財産税」を課して国民の資産をスピーディーに根こそぎ召し上げることが可能となる。
 畢竟、マイナカードは亡国の政治家どもが利権で甘い汁を吸い、アベノミクスの悪政によって国家破産した時のための準備と言い得る。
 「誰一人取り残さない、人に優しいデジタル化」などと甘言を弄してそれを問答無用で推し進める岸田や河野のペテン性に気づくべきである。(天皷)

学会・公明党と中国の蜜月ぶり

世相閻魔帳78「顕正新聞」令和5年7月15日号

 池田大作が表舞台に姿を晒さなくなってから今年で早13年。すでに「生ける屍」になっているにもかかわらず、未だに池田の名誉学術称号等の受賞を誇る記事が定期的に聖教新聞の紙面を飾っているから摩訶不思議だ。
 直近ではアルゼンチンの大学が池田に「名誉博士号」を売った……もとい、贈ったという。
 学会や創価大学等の関連機関は挙って各公式サイトで池田の「名誉学術称号一覧」を更新し、その総数が「405」になったことを誇っている。実に馬鹿馬鹿しい。
 かつて浅井先生は「世界各国から池田が受けた勲章・名誉博士称号等の類は、その数を知らない。そのすべては金力による。まさに名利の魔物と言わざるを得ない。
 大聖人は開目抄に『愚人にほめられたるは第一の恥なり』と仰せられている。いま池田が、信心のない輩に誉められているのは、折伏の大精神を忘れ、世間に諂っているからに他ならない。これらの勲章こそ、池田の腐敗堕落を象徴する以外の何ものでもない」と痛烈に喝破されている。
 ちなみに元学会顧問弁護士・山崎正友は自著において、池田が昭和40年代に「『日本で評判ガタ落ちだが、海外では名声いよいよ高い』と、大いに宣伝し、海外での作られた名声によって、国内の失地回復をはかろうとした」ことや、池田が昭和50年に富士宮市の名誉市民第一号になった背景について「二つの公園の寄附、池田教育基金三億円の寄付、市民会館建設への協力約束、土地開発公社への四億円の貸付等々、おびただしい札束攻勢を背景に、有力市議会議員らがあっせんに動き……名誉市民条例の制定にこぎつけ、池田氏がめでたく名誉市民第一号になった」と暴露している。
 実は池田が名誉学術称号を買い漁り始めたのは、学会と宗門の関係が悪化し始めた平成の初め頃からであり、その数は池田が表舞台から姿を消した平成22年までの間に急増している。この数字は様々なことを示唆しており興味深い(グラフ①参照)。

池田を評価する中国

 さて、池田の名誉学術称号の一覧を眺めてみると、中国の大学から贈られたものが最も多く、その数なんと「127」(香港2、マカオ5を含む)。全体に占める割合は約31%だ。

 次点のブラジルは「30」(約7%)であるから、中国の大学から贈られた称号が突出していることが理解できる(グラフ②参照)。

 なぜ池田は中国からウケが良いのだろうか。その理由は池田が「日中国交回復」を成し遂げた最大の功労者であることもさることながら、その池田が創設した公明党が長きにわたって中国に貢献し、今後も中国にとって大いなる利用価値があるからに他ならない。以下、簡単に述べる。

周恩来の罠

 中国の国家主席毛沢東の片腕と言われ政治的手腕に優れていた周恩来は「文化大革命によって崩壊した中国経済を立て直すには、日本の力を借りる以外にはない」と考え、当時、日本国内に拡大しつつあった創価学会に目を付け、池田が「日中国交回復」に動くよう様々な工作を仕掛けた。
 政治野心と功名心に燃える池田はこれにまんまと食いつき、学会の学生部総会(昭和43年9月)で「日中国交正常化」についての「提言」を発表。その後、公明党委員長の竹入義勝は三たび訪中し、周恩来から示された国交正常化の共同声明案を持ち帰り、田中角栄総理大臣を乗り気にさせ、周恩来が期待したとおりの役割を果たした。
 かくして偽戒壇正本堂の落成直前の昭和47年9月29日、「日中国交回復」がなされた。以降、日本政府は中国に対して総額6兆円にも上るODA等の公的援助を実施した。これにより中国は息を吹き返し、今日の軍事超大国となり、日本を血祭りに上げる核ミサイルを有するまでになった。「宋襄の仁」の故事を彷彿とする。

公明党媚中政策

 池田が創った公明党は国内で最も親中・媚中の政党であり、日中国交回復後も中国と親密な関係を維持し、日本国内で中国の支援・擁護に注力している。
 このことは中国共産党プロパガンダ機関「人民日報社」が運営するネットメディア「人民網」に掲載された「公明党多年坚持〝对华友好〟助推中日关系发展(公明党の長年にわたる「中国に対する友好」は中日関係の発展に貢献した)」と題する記事(平成29年3月30日付け)を見ればよく分かる。
 この記事は、当時、創価大学教授で復旦大学日本研究センター研究員であった汪鴻祥が中国政府のシンクタンク中国社会科学院」の日本学研究所が発行する学術誌「日本学刊」(2017年第2期発表)に寄稿した論文の内容を簡略に紹介したものだが、そこには次の記載がある(以下は中国語の原文を翻訳したもの)。
 「新たな情勢の下、公明党は中国の関係者と緊密な連絡を保ち、中国との交流を引き続き発展・強化し、中日友好協力関係の発展に重要な役割を果たし続けている。
 第一に、中日関係の正しい方向から逸脱した自民党の一部保守政治家の言動に圧力をかけ、牽制した。
 第二に、中日友好の基本方針を堅持し、中日関係をめぐる公明党の立場を日本社会と国際社会に説明し、表明した。
 第三に、中日両国の与党間の交流に積極的に参加し、特に両国関係が困難な時期に政党外交で重要な役割を果たした。また、両国元首の相互訪問と交流を積極的に推進する。
 今後の日本の内政・外交において、公明党はますます無視できない重要な存在になるだろう。今後の中日関係の発展において、公明党は依然として重要な位置を占めており、重要な役割を果たすことができる」と。
 仮に公明党がこの役割を実際に担っているとすれば、いっそのこと党名を「中国共産党・日本支部」にでも変更すべきだ。

「対中非難」決議等を骨抜きに

 たしかに公明党が「中日関係の正しい方向から逸脱した自民党の一部保守政治家の言動に圧力をかけ、牽制した」と言い得る出来事は幾つもある。
 たとえば令和4年2月1日、衆議院が採択した新疆ウイグル自治区等における中国政府の人権侵害行為に対する非難決議がそれだ。
 この決議は「対中非難」とは全く以て評し得ない大甘で腑抜けたものだが、そうなったのは、公明党幹部が対中非難の意味合いを薄める目的で自民党幹部に対し、当初案に存在した「人権侵害」「深刻な人権侵害行為を…直ちに中止」等の重要な表現、さらには非難決議であれば当然あるはずの「強く非難」との文言までも削除するよう要求して呑ませたから、と言われている。
 中国がウイグルで「ジェノサイド」(大量虐殺)に及んでいることは周知の事実であり、これは「人権侵害」などの手緩い表現で済むものではない。しかるに公明党はその手緩い表現すら拒絶したのだ。
 また公明党は「重要土地等調査規制法」(自衛隊基地周辺の土地を中国が買収している事実等が発覚したことに鑑み、政府が安全保障上重要と指定した施設周辺の土地を売買する際には事前届出を義務付けるなどした法律)の制定にも慎重姿勢を崩さなかった。
 ために自民党は法案とりまとめの過程で公明党への譲歩を余儀なくされ、最終的に防衛省(東京都新宿区)を含む市街地、海上保安庁の施設、原発等の重要インフラ施設周辺の土地を事前届出が義務付けられる区域に指定できなくなってしまった。

公明党代表中国共産党の密月ぶり

 ちなみに公明党代表山口那津男中国共産党も仲睦まじい。
 令和4年10月28日、山口は中国の国営通信社「新華社」の単独インタビューにて「公明党中国共産党の長い間の交流と信頼関係を更に深められるように、共々に協力し合っていきたいと思っています」などと語った。
 また同年12月23日、山口は北朝鮮など社会主義国との外交を推進する中国共産党中央対外連絡部のトップである劉建超とビデオ通話を行い、同人から中国共産党自民党公明党とで対話を行う「日中与党交流協議会」の再開を打診されている。
 その他、日本メディアは報道していないようだが、山口は本年5月10日、「中国共産党の100年の歩みは世界的にもっと評価されるべき」と公言するほど中国にベッタリの鳩山由紀夫元首相夫妻ら親中派の面々とともに、都内で披露された日中平和友好条約締結45周年を記念した「京劇」を鑑賞している(当日撮影された集合写真には、鳩山元首相の隣に座って満面の笑みを浮かべた山口がいる)。

公明党の動向を注視

 以上、池田大作そして池田が創設した公明党中国共産党への貢献ぶり、中国共産党との親密ぶりを見れば、冒頭に述べたごとく池田が中国の大学から数多くの名誉学術称号を贈られていることも合点がいく。中国にとって政権与党に巣くう公明党ほど利用価値のある存在はいない。
 四月度総幹部会において先生は
 「仏法の上から見れば第六天の魔王は、池田大作をして御遺命を破壊せしめるとともに、日本を侵略する中国を軍事超大国になさしめた
 と指導くださったが、中国による台湾侵攻が眼前に迫る今、学会・公明党の動向を注視する必要がある。(天皷)

阿部日顕の悪臨終とその悪行(2)

世相閻魔帳77「顕正新聞」令和5年7月5日号

 五月度総幹部会において、三大謗法を犯すも最期まで些かの改悔なき阿部日顕の悪臨終が明らかとなった。元宗門僧侶の証言によれば
 「その相は、色黒く、恐ろしい形相で、部屋中に悪臭が漂っていた。本来、宗門では『死に化粧』はしないものだが、あまりに色が黒かったので死に化粧をするしかなかった。しかし、何度塗っても白くならず、最後に厚塗りをして、何とか白くした」という。

信心なき関快道の謗言

 余談だが、先日、ある男子部幹部に阿部の悪臨終を責められた本山塔中・久成坊住職の関快道は、顕正新聞に阿部日顕の臨終の様が掲載されたことにつき「正気の沙汰ではない。キチガイ宗教」などと顕正会のことを誹謗していたらしい。道念なき食法餓鬼だから当然とはいえ、この男は臨終の大事が全く分かっていない。
 浅井先生は「一切は現証には如かず。善無畏・一行が横難・横死、弘法・慈覚が死去の有り様、実に正法の行者是くの如くに有るべく候や」(教行証御書)、「死する時は黒皮隠々として骨甚だ露わると申して、無間地獄の前相其の死骨に顕わし給いぬ。人死して後 色の黒きは地獄に堕つとは、一代聖教に定むる所なり」(神国王御書)との御金言を引かれ、大聖人様が真言の悪僧どもの悪臨終を重視しておられたことを指導くださり、また予てより数多の御書に大聖人様が臨終の証拠を以て成仏・不成仏を厳しく判じられ、仏法の正邪を立て分けておられることを御教示くださっているが、関快道の先の謗言はそのまま大聖人様に対し奉る謗言に当たることを知るべきである。
 話を本題に戻す。前回の本コラムでは、阿部の悪臨終の所以たる三大謗法のうち「御遺命破壊」を中心に述べた。今回は残る2つの阿部の悪行、すなわち身延派と誼を通じた「謗法与同」と「戒壇の大御本尊様に対し奉る誹謗」について簡単に述べる。

仏敵・身延派と連携

 20万法城を背景とした浅井先生の強烈な諫暁によって「本門寺改称」の陰謀が平成2年に潰え去ると、忽ち御遺命破壊の主犯たる池田大作と共犯の阿部の間に不和が生じ、「修羅と悪竜の合戦」そのままの凄絶な抗争が勃発した。
 それより阿部は創価学会との抗争に利用すべく、信心の欠片もない元学会顧問弁護士・山崎正友を取り込み、あろうことか戒壇の大御本尊様を怨嫉する「仏敵」たる邪宗日蓮宗(身延派)との連携を画策したのである。
 山崎が宗門に復帰する以前に阿部へ送った書簡には「全日仏、新宗連キリスト者同盟等々の他宗にも行動を起こさせるべく、根まわし中です。創価学会対策は、もはや一宗でできることではなく……」「全日仏の中心勢力は、東西本願寺で、他の教団はその動向を見ているようです。両教団ともようやく腰を上げる気配で、私のところへ、ゼミナールの要請が来ています。日蓮宗系からも、講演依頼が来ています」などとあらゆる邪教と連携して反学会運動を行っていく考えが縷々記されている。
 阿部はこのような山崎を平成6年12月に対学会の謀略活動に従事させるべく宗門復帰させ、大草一男率いる妙観講に所属させた。その頃より山崎の工作により宗門は身延派と連携するに至るのである。

身延派高僧らを大石寺に招く

 平成6年11月5日には、身延派の総本山・久遠寺内の志摩坊住職で山梨県第一部布教師会長でもある佐藤順映以下8人の身延僧が大石寺を参拝した。一行を懇ろに正本堂等の山内施設に案内したのは大石寺理事・理境坊住職・妙観講指導教師の小川只道だった。
 佐藤順映は「過去頑迷なまでに他宗には門戸を開かなかった大石寺」の姿勢が従前と様変わりしたことにたいへん驚き、「大石寺研修参拝記~他宗には門戸開かぬ大石寺に柔軟性」なる記事を「布教師会報」に公表した。
 その中で「懇切なる案内をしてくれた教師から、ほどなく一通の礼状が届いた」として、小川から届いた礼状の一部を紹介している。そこには「皆様の暖かなお心に触れ、外はめっきり寒くなっていたにも拘わらず、暖かな気持ちで御案内申し上げることができましたことを感謝しております」と記してあった。
 学会がいなくなり閑古鳥が鳴いている宗門の惨状を身延僧から憐れまれ、「日蓮門下の一員と云う連帯」まで持ちかけられた小川が「暖かな気持ち」になったであろうことは想像に難くないが、「戒壇の大御本尊の敵」たる仏敵を大石寺に招き入れた挙句、過剰なまでに媚び諂い「感謝」の意を表する礼状まで送るなど「仏法中怨」の誡めに背く許されざる行為だ。
 かかる悪行を小川の独断で行える筈がなく、全て阿部の意を受けたものであることは論を俟たない。
 また平成7年6月6日には、身延派管長に就任する直前の田中日淳の一行32人が大石寺を参拝し、宗門の能化・高野日海が袈裟衣を着けた正装で丁重に出迎え、正本堂をはじめ山内をくまなく案内し、一行を蓮葉庵で手厚くもてなした。
 山崎はこの日のことを同月24日、「国際正法協会」という邪教のシンポジウムで振り返り「6月6日に(阿部日顕)御法主上人にお目通りし、ねんごろに懇談した。今後のことも種々語り合った」として、その際の阿部の意向を踏まえ〝大石寺日蓮宗の僧侶が見学に来たが謗法として追い返すようなことはせず、丁重に迎えた。与同罪と言わずに、もっと広く皆と一緒にやることが大事だ〟などと述べている。
 この発言からも身延派と連携して対学会闘争の利を図らんとした阿部の魂胆が窺われる。

宗門僧俗も身延派寺院へ

 このように平成6年頃から身延派の坊主がグループで幾度も大石寺に参拝するようになる一方、宗門僧俗も身延派の本山や末寺等に参拝する謗法与同を平然と行うようになっていった。
 一例を挙げれば、法華講総講頭・柳沢喜惣次が、阿部日顕の息子・信彰(現在は能化・布教部長・常在寺住職の阿部日明)が住職を務めていた大修寺の法華講員を率いて身延山久遠寺に参詣したこともあった。
 日興上人の身延離山の大精神を蹂躙するこれらの許し難い所行には憤りと悲しみしか湧いてこない。

山崎正友の大謗法

 しかも身延派との仲介者である山崎は、積極的に身延派の集会に出席しては反学会運動を呼びかけ、ことに身延派・京浜教区教化研究会議(平成6年12月6日)に出席した際には「『板本尊偽作論』もその後の掘り下げがありません。これから本腰を入れて取り組んでほしい」と発言し、身延派坊主どもに〝戒壇の大御本尊を攻撃せよ〟と嗾けた「戒壇の大御本尊様の敵」「大謗法者」である。
 このような男を重用し続け、身延派坊主とも誼を通じた阿部には、戒壇の大御本尊様に対し奉る信心が全く無かった。

戒壇の大御本尊様に対し奉る誹謗

 その最たる証左が、出世の芽がなくなったと思い込んだ阿部が腹心の参謀・河辺慈篤を前にして吐いた戒壇の大御本尊様に対し奉る許されざる誹謗の悪言だ。
 阿部は恐れ多くも
 御本仏大聖人の出世の御本懐、全人類成仏の大法、唯授一人血脈付嘱の法体、そして日興上人が「日興が身に宛て給わる所の弘安二年の大御本尊」と仰せられ、日寛上人が「就中 弘安二年の本門戒壇の御本尊は究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり、況んや一閻浮提総体の本尊なる故なり」と言い置かれた、最極無上・尊無過上の戒壇の大御本尊様に対し、口にするのも憚る大悪言を吐いたのである。
 あまりのことに仰天した河辺はその記録を残した。これが21年後の平成11年7月7日に流出した「河辺メモ」(昭和53年2月7日付)である。
 諸天の働きによって「河辺メモ」が流出したことで、〝戒壇の大御本尊と不二の尊体〟〝法主即大聖人〟とのたばかりで己れを荘厳り箔づけして無智な法華講員を欺いていた阿部の天魔その身に入る醜い正体が明らかとなった。

現世の罰

 かかる阿部の現世の罰も凄まじいものであった。
 自己申告で管長に就任した阿部は正信会や学会との抗争において「ニセ法主」「詐称法主」と罵られ、正信会側との裁判では、細井日達から阿部への相承が実在したことを表象する外形的事実は「一切存在しなかった」と認定されてしまった。
 また学会との抗争では「シアトル事件」(阿部が教学部長時代に学会の要請でアメリカに赴いた際、深夜に一人でホテルを抜け出して売春婦と金銭上のトラブルを起こして警察沙汰になった事件)を巡る裁判で三度も法廷に引き出された挙句、僧侶にあるまじき自身の醜行を学会弁護団から克明に暴かれ、その恥辱を宗の内外に晒した。
 加えて晩年は「心臓の手術をしたものの、傷口が感染症を起こしてなかなか治らず、また既往病歴も30以上」「腎機能もかなり低下し、顔色は常に黒ずみ、自分で老廃物を排出できないことから、左足の付け根から管を入れて透析する状態」「認知症の症状も加わり、自らの病状すら理解できず、透析の管を自分で引っ張って外しては血まみれになり、ために、つなぎタイプの病衣を着せなければならず、日々ナースコールが鳴り止まない深刻な病状」という惨状だった。

御裁断下る

 先生は「最後に申すべき事」の末文に
 「これが小生の最後の諫めである。もしこの言を卑しんで一分の改悔もなければ、後生の大苦こそまさに恐るべし。
 顕立正意抄の仰せに云く『我が弟子等の中にも信心薄淡き者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし。其の時我を恨むべからず』と。
 以上、用捨は貴殿に任す。小生はただ謹んで
御本仏日蓮大聖人に言上し、御裁断を仰ぎ奉るのみである
 と記し置かれたが、まさに大聖人様の厳たる御裁断が下り、一分の改悔無き阿部は「阿鼻獄の相」を現じたのである。
 そして今般、宗門関係者がひた隠しにしてきたその悪臨終が諸天の働きにより明らかになったことこそ、大聖人様が御遺命を破壊した阿部の大罪を白日の下に晒され、末法万年にその悪臨終の現証を留め給うたものと伏して拝するばかりである。(天皷)

阿部日顕の悪臨終とその悪行(1)

世相閻魔帳76「顕正新聞」令和5年6月25日号

 五月度総幹部会において、宗門関係者がひた隠しにしていた阿部日顕の悪臨終が元宗門僧侶の証言により明らかとなった。いわく
 「その相は、色黒く、恐ろしい形相で、部屋中に悪臭が漂っていた。本来、宗門では『死に化粧』はしないものだが、あまりに色が黒かったので死に化粧をするしかなかった。しかし、何度塗っても白くならず、最後に厚塗りをして、何とか白くした」と。
 浅井先生は
 「これを聞いて驚くとともに『さもありなん』との思いが湧いた」
 と所感を述べられた後
 「では、阿部日顕の臨終の悪相は、いかなる悪行の結果であったのか」として、池田大作に諂い三大秘法抄の御聖意をねじ曲げ「正本堂を御遺命の戒壇」とたばかる二冊の悪書を書いた阿部日顕こそ、正系門家における「師子身中の虫」であると断ぜられた。
 以下、阿部日顕の御遺命違背に関する悪行を簡単にまとめる。

戒壇正本堂を讃嘆

 宗門高僧らは、池田大作正本堂発願式(昭和42年10月12日)で読み上げた「夫れ正本堂末法事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又仏教三千余年、史上空前の偉業なり」との発誓願文に呼応して挙って宗門機関誌「大日蓮」(昭和42年11月号)に讃辞を寄せた。中でも阿部は
 「宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現御法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生により、始めてその実現の大光明を顕わさんとしている
 と正本堂を「御遺命の事の戒壇」と言い切る諛言を寄稿した。

二冊の悪書を物す

 また阿部は池田大作を総指揮者とする学会首脳幹部で構成された妙信講対策グループの一員に唯一宗門僧侶として名を連ね「教義論争」等を担当し、国立戒壇を否定して正本堂を御遺命の戒壇と偽るため、二冊の悪書すなわち「国立戒壇論の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」を物した。
 二冊とも学会の弁護士・検事グループに「政教分離を定めた現憲法下において国立戒壇は実現不可能であり、民衆立の正本堂こそ、現時に即した御遺命の戒壇である」と教唆されて書いたものであり、そのたばかりを総括すれば次のとおりである。
 「王法」を「あらゆる社会生活の原理」とし
 「王臣一同」を「民衆一同」とし
 「有徳王」を「池田先生」とし
 「勅宣・御教書」を「建築許可証」とし
 「時を待つべきのみ」を「前以て建ててよい」とし、以て国立戒壇を否定して正本堂の誑惑を正当化せんとした。
 これあたかもインドから中国に渡った真言師・善無畏三蔵に「汝かきなんや」と唆された中国の天台僧・一行阿闍梨が「やすう候」と法華経を貶める誑惑の書「大日経の疏」を物したごとくである。

池田に罪を擦り付ける

 阿部は「不世出の大指導者たる総講頭池田先生……世界広布の中心者である総講頭池田大作先生……我々日蓮正宗の僧俗は、先生の推進されておる偉大な妙法の革命的意義を心からたたえ、又ほこりに思うものでございます」(昭和49年・虫払会講演会)
 「社会に開いた先生の教学はよくわかります。完璧であると思います」(昭和52年9月2日・学寮会談)
 などと池田に追従した甲斐もあり、細井日達が大事の御相承もなし得ずに急死した後、池田と示し合わせて猊座を簒奪することに成功した。
 それより二人三脚で平成2年の「本門寺改称」に突き進んだが、20万法城を背景とした浅井先生の強烈な諫暁によって本門寺改称の陰謀は潰え去った。それを機に池田と阿部が「修羅と悪竜の合戦」そのままの大抗争に陥ると、阿部は御遺命破壊の大罪を全て池田ひとりに擦り付けた。
 「その時はそのような空気が宗門を巻き込んでいった。その一番元は池田大作名誉会長が、大聖人の御遺命の達成であるという意味で、正本堂を『三大秘法抄』の戒壇であると指名したことであります」(平成3年1月10日・全国教師指導会)
 「顧みれば、あの当時、正本堂を何とか御遺命の戒壇として意義づけようとする池田会長と学会大幹部の強力な働きかけや、妙信講の捨て身の抗議があり、その間にあって宗門においても、正本堂の意義がいろいろ考えられました。……今顧みれば、あの時の『正本堂広宣流布の時に三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇となる』という趣旨の教学部見解は、宗祖大聖人の御遺命たる本門戒壇の正義よりみれば、適当でなかったと思います。……その背景には、正本堂建立発願主を含む創価学会の強力な意義づけに関する主張があったことを、今にして思うものです」(平成3年3月9日付け「回答書」)と。
 言わずもがな、阿部は池田の寵愛を得るため自ら積極的に正本堂の誑惑に加担した「共犯者」である。しかるに阿部はそれを棚に上げて〝一番悪いのは池田だ。宗門は巻きこまれただけだ〟と「被害者」を装ったのだ。これ卑怯卑劣の極みと言う他ない。
 阿部に改悔が微塵もないことは次の発言にも明らかである。
 「一遍、国立戒壇に関することを、私はある時期に、全部ご破算にしちゃおうかなと思っているんだけれども、まずいかねー。あれ(二冊の悪書)はもう一切廃棄する、破棄すると宣言したらどうかな。どうだ、面白いだろうな」(平成4年8月28日・全国教師講習会)と。
 御本仏を欺き奉り、数百万信徒をたぶらかした大罪を露程も感じていないことがわかる。
 池田への面当てとはいえ、このようなふざけた言辞を弄することができる阿部には全身の血が逆流する憤りしか湧かない。

国立戒壇を誹謗し続ける

 正本堂崩壊後の平成16年8月26日、先生が著わされた平成16年の一国諫暁の書が大規模に配布され居たたまれなくなった阿部は、「全国教師講習会」で全国の住職を前にして2時間40分もダラダラと言い訳を並べて二冊の悪書の幕引きを図るとともに、許されざる大謗法の悪言を吐いた。
 「教学部長時代とはいえ、書いた二書のなかにはどうしても当時、創価学会正本堂の意義付けに狂奔し、その関係者からの強力な要請もあって、本来の趣旨からすれば行き過ぎが何点かあったようにも、今となっては思うのです
 「結局、道理から言っても国立戒壇は誤りですから、『国立戒壇論の誤りについて』のなかにおいて国立戒壇が間違いだと言ったことは正しかったと思っております
 「昭和四十七年の『国立戒壇論の誤りについて』と五十一年の『本門事の戒壇の本義』は、先程から言っているように私が書いたけれども、そこにはたしかに、戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども、これはあくまで正本堂の意義を『三大秘法抄』の戒壇に作り上げようとした創価学会の背景によらざるをえなかったのです。つまり、あの二書は正本堂が出来る時と出来たあとだったが、浅井の色々な問題に対処することも含めておるわけで、強いて言えば全部、正本堂そのものに関してのことなのであります。そういうことですから、正本堂がなくなった現在、その意義について論ずることは、はっきり言って、全くの空論であると言ってよいと思います」等々。
 別しては日興上人への「一期弘法付嘱書」の助証、総じては門下に下し給うた「本門戒壇建立への御遺命」たる三大秘法抄の重大な御聖文をズタズタに蹂躙して正本堂を御遺命の戒壇と偽った大謗法を「行き過ぎ」「言い過ぎ」「はみ出し」との軽々しい言葉で片づけ、その罪を全て池田に擦り付けた挙句、「国立戒壇が間違いだと言ったことは正しかった」との悪言を吐いて「国立戒壇」を誹謗し続けた阿部は、まさしく「謗法闡提」「逆路七逆の者」である。

悲惨極まる晩年

 かかる無慚無愧の阿部に対し先生は平成17年に百万顕正会の解散を賭して重ねて対決を申し入れられた。
 しかし阿部は完全に逃避、かくて先生は「最後に申すべき事」で阿部の三大謗法に止めを刺された。その三月後の「大扉開かず」の大現証によって退座した阿部は些かの改悔なきまま、先生が早瀬管長に対して阿部を宗門追放するよう直諫された58日後の令和元年9月20日、ついに命終した。
 令和元年10月の総幹部会で発表された、阿部日顕が晩年に都内の病院に入院していた際の悲惨極まるその姿が思い起こされる。いわく
 「阿部日顕は心臓の手術をしたものの、傷口が感染症を起こしてなかなか治らず、また既往病歴も30以上
 「腎機能もかなり低下し、顔色は常に黒ずみ、自分で老廃物を排出できないことから、左足の付け根から管を入れて透析する状態
 「認知症の症状も加わり、自らの病状すら理解できず、透析の管を自分で引っ張って外しては血まみれになり、ために、つなぎタイプの病衣を着せなければならず、日々ナースコールが鳴り止まない深刻な病状」と。
 池田大作と同様、阿部もまた現身に阿鼻の業苦に苛まれていたこと疑いない。

宗門僧俗は後生の大苦を恐れよ

 今般、諸天の働きにより阿部日顕の悪臨終が白日の下に晒された。
 御遺命破壊に加担した宗門は、世親・馬鳴・嘉祥のごとき真の懺悔を以て、御本仏一期の御遺命を破壊した大罪を大聖人様にお詫びし、「国立戒壇」の正義を宣揚しなければならない。
 顕立正意抄にいわく
 「我が弟子等の中にも、信心薄淡き者は、臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし。其の時我を恨むべからず」と。
 宗門僧俗は阿部日顕の悪臨終を刮目し、大聖人様の厳たる御裁断に恐れ畏むべきである。(天皷)